人間の神性と獣性・・・

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先日から、人間について考えていました。

今日、目にした、新聞記事にその答えを見つけたような気がします。
人間とは、神性と獣性を併せ持つ生き物。」
分かりやすく言い換えれば、光と闇。。。善と悪。。。
この2つのバランスの中で、どう生きるか・・・って
ことなんだろうな・・・という気がします。

その新聞記事を転載します。




 神戸市須磨区で1997年に起きた小学生連続殺傷事件で、
亡くなった山下彩花さん(当時10歳)の母京子さん(58)が、
23日の命日を前に毎日新聞の取材に応じ、手記を寄せた。
京子さんの元には2004年に2通、07年から毎年、
加害男性(31)から手紙が届いている。今年、10通目を
受け取った京子さんは「自分の罪と向き合うのは苦しいことだろうが、
あえてそうしていることが伝わってくる内容だ」と話した。

 手紙は毎年、男性の両親や弁護士を介して届けられ、今年は
2月24日に受け取った。B5判3枚で、印字したものだった。
内容は非公表としている。

 京子さんは「一昨年ごろから印象が変わった。本心から
書いているようだ。心の痛みこそが償いの第一歩だと思う」と
感想を語った。また、「全ての人が光と闇とを抱え持ち、自分の
魔性と闘いながら生きているのではないか」との思いを強くしたという。

 京子さんは昨年から、彩花さんが通った市立竜が台小学校
(神戸市須磨区)で絵本の読み聞かせをしている。【久野洋】


 ◇京子さんの手記全文◇

 彩花が通っていた竜が台小学校前の道が、「花いっぱい週間」の
花々で鮮やかに彩られるこの時季、赤い道を歩くたびに心がなごみます。

 今年もまた、神戸連続児童殺傷事件が起きた3月16日が巡って
きました。今年は、事件の日と同じ日曜日のせいか、例年と比べると
心がざわざわして、たくさんのことを思い出しました。

 彩花のとびきりの笑顔、甘えて拗(す)ねたしぐさ、一緒に奏でた
ピアノ、そして、最後に交わした言葉……。

 事件から17年もの時間が過ぎたのに、目を閉じると、まるで
昨日のようにあの日のことが鮮明に甦ってきました。

 事件当時は絶望に覆われた日々でしたが、時の流れとともに、
自分の人生を取り戻すことができたように思います。いつの頃からか、
3月16日と23日は、悲しみと苦悩を追体験する日ではなく、
たくさんの人からいただいた真心に、あらためて感謝する日になりました。

 夫は、ずいぶん前から少年野球のコーチとして、楽しみながら
子ども達とふれあっています。私は、竜が台小学校には、つらくて
長い間足を踏み入れることができませんでした。でも、数年前から、
6年生の「命の授業」で体験を話しながら命の尊さを一緒に考えたり、
絵本の読み聞かせボランティアを始めてからは、懐かしい校舎に
行くのが楽しみになりました。私の語りに耳を傾ける子どもたち、
キラキラした瞳で無心に絵本を見つめる子どもたちから、いつも
パワーを貰っています。

 この子たちが、目を輝かせて生きていける日本社会を残すのは、
私たち大人の責務だと痛感しています。

 先日、千葉県柏市で痛ましい連続通り魔事件が起きました。
そのニュースを見たときには、「なぜ、何の罪もない人が、命を
奪われる悲惨な事件があとをたたないのだろう」と悲しくなりました。
また、その容疑者が、神戸連続児童殺傷事件の加害男性に理解を
示しているような報道がなされ、胸がつぶれる思いです。

 今年も、加害男性からの手紙を弁護士から受け取りました。
繰り返し読みましたが、一昨年あたりから手紙の印象が変わって
来たように感じています。

 人間とは、神性と獣性を併せ持つ生き物。以前から私は、そんな
思いを持っていましたが、彼の手紙を読んで、やはりこの世には、
善だけが100%を占める人もいなければ、悪が全ての人もいない
のだと感じました。全ての人が光と闇とを抱え持ち、ときに湧き
あがる自分の中の魔性と闘いながら生きているのではないかと思います。
その魔性に負けてしまった時に、人は罪を犯すのかもしれません。

 加害男性は、生涯をかけて償いながら生きることを選びました。
彼が、自分の罪を真正面から見つめようとすればするほど、計り
知れない苦痛が伴うでしょう。でも、いばらのような道を歩みゆく
過程で感じる命の痛みこそが、償いの第一歩ではないかと思っています。

2014年3月23日 彩花の命日に寄せて 山下京子



被害者の家族のお気持ちを考えると、本当につらいです。
つい最近も、ベビーシッター事件がありましたし。。。
他にも信じられないような事件がたくさんあります。

人の中にある、獣性が凶器となり、他者を傷つける・・・。

たしか、水井さんもこの間、関連した記事を書いてました。

その記事に私が書いたコメントをシェアしておきます。

「自分を護ろうとするのも動物的ってことなんでしょうね。。。
魂はそのままでいるだけだから。。。
考え癖や感情が強いというのも、やはり動物的ですよね。。。

でも、人間としてこの地上で生きていくためには自分を護り、
考え、感じることは大切だから、偏ることなく、バランスを
うまく取れるようになったらいいんでしょうね。

自分がつらく感じたら、それは、気をつけろということ。
でも、そこから逃げるか立ち向かうかは、その状況次第って
ことですね。

宇宙的視野で良心に沿った考え方、生き方、感じ方を心がける
ようにします。」


人間の獣性が人間でははく、自然に対して向けられると、
先日書いた、
に関連することになります。。。


以前書いたちょっと関連する記事