lalalaさんの記事

先日から、いくつか書いたコメントをメモします。

lalalaさんの記事は、漢字が多く、難しいので、半分くらい
どころか、ほとんど、理解できていないような気がするの
ですが、無謀にも、コメントを書いてしまいます。。。
無知と無理解をさらけだすようで、恥ずかしいから、コメント
するの、よそうかといつも思うのですが・・・。
書きたくなっちゃうんですよね。。。

だから、記事内容と、かなりずれているところはご了承
ください。。。

私のコメントよりも、lalalaさんの記事の方がためになります。

目に見えるもの、認知できるものだけを対象にしている科学では、
いくらがんばっても、生命の神秘は解明できないと思います。
私は、医学や栄養関係の情報をピックアップしてるのですが、最近の
研究調査には、道徳的なこと、心の傾向や振る舞いが、身体に影響を
与えている、というようなものがあり、興味深い結果が出ています。
もちろん、当然の結果なのですが、そこを証明する手立ては、
「生命の神秘」としか言うことのできないことなんですよね。。。

ホルモンや免疫、神経伝達のシステムの一つ一つをとっても遺伝子に
ついても、分解して、成分がとか仕組みが、と解析することは可能ですが、
それを全体として構成して機能している、「命」については、科学的見地
からは、完全に解明できないでしょうから。。。

村上和雄教授の「スイッチ」という映画は、残念ながらまだ見ていませんが、
教授の研究をはじめて知ったとき、日本人というか、生命の神秘を感じる
研究者ならではの視点があるんじゃないかと感じました。
「生かされていることに気づき感謝する」ことで遺伝子のスイッチは入るそうです。」

今日、外出中に、久しぶりにノートに字を書いていて、「神経」って
「神の経路」ってことなんだ、って閃きました。

最近は、いつもPCに文字を打ち込んで、変換していたので、当然のように
「神経」と打ち込んでいましたが、いざ書くとなると、あれ、神経の経は
分かるけど、しんは?ってふと思って、あっそうだ、神っていう字だったわ、
と思い出し、実際に自分の手で文字を紙に書いて、それを見るとなんだか、
妙に実感できたんです・・・。

生物の体中に網の目のように、情報伝達をしている「神経」・・・。
情報伝達の度に、神がその中を通っているのだ、私たちは常に、神と
共にあるのだ、私たち自身が、それぞれ神の一部なんだ、ということが、
すとんと納得できたんです。
まさに、生きていること、生かされていることが、今の一瞬一瞬が命の
奇跡なんだなぁ~って。。。
体中を電気が走ったような感じでした。。。

あちこちに書いてあることなので、頭の中で知った気分になってもう、
分かっていると思っていましたが、自分の経験して、実感し、理解し
納得することは、やっぱり違うなぁ~と思い、この感覚を大切にしたい
と思いました。 」



「いつから、自分のものは自分のものと、所有する習慣ができてしまった
んでしょうね?
日本でも縄文時代、たぶん弥生時代くらいまで、集団としての所有は
あっても、個人の財産と言う概念はなかったんじゃないか、と思うのですが。。。
先日、BSで放映された、「アテルイ伝」の蝦夷の集落もそういう感じを受けました。
だからといって、所有を否定している訳ではないのですが、必要以上に独占する
ことはないのに・・・といつも思っています。
物も感情も心も知識も分かちあうことで、みんながお互いに豊かになり進化して
いくのでは・・・と思うのですけれど、現実の世界でそれをやると、変な人に思われて
しまうのが、この悲しい状況だなぁ~と思います。。。 」


なんだか、子供の読書感想文とかみたいな文章ですが・・・(笑)
コメントした内容は、詳しく書いたら、かなり長くなってしまうので、
端折って書いたから、分かりにくいかもしれないなぁ~って、書いた
自分が思っています。。。

記事できちんと一度書きたいなぁ~って思うんですけどね、
イメージと雰囲気で分かっていても、誰かに論理的に説明する
ことができないんです。私の文章力では・・。
(というか、私の知力・・・?!)
あぁ、悲しい。。。