「己を直視する。」に書いたコメント

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AKIさんの「己を直視する。」に書いたコメントと
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記事本体は、リンク先で読んでください。

>おカネを稼ぐ(値段を設定し対価を要求する)という、
ごく当たり前になっている生き方を、
しっかりと見詰め直してみて下さい。

せっかくの集まりでさえも、
対価(値段)の設定が、
繋がり合える可能性を狭めています

具体的にどのように行動したらいいのか
はっきりしないままに、この数年を
生きています。

今の社会の中では、お金を稼がないと
生きていけない。
何をするにも、お金がかかりますから。
子供の教育、食費、保険、通信費など
必要最低限の支出でも相当あります。

報酬の無い情報発信には積極的に動けるの
ですが、私の中で、なぜか収入を得るための
仕事に対して、ストップがかかってしまうのです。
これは、かれこれ、20年以上前の昔からです。
そういう部分を感じないようにして、ずっと働いて
収入を得てきましたけれど、ここにきて、また、
ジレンマに陥ってしまいます。

理想とする未来の社会を実現するため、何を
どのようにやっていったらいいのか、考えが
まとまらず・・・です。


ひろみ 2016-08-09 20:23:1


>ひろみさん

コメントありがとうございます。

私もいつも堂々巡りしてきました。

>今の社会の中では、お金を稼がないと
生きていけない。

そう言い聞かせて自分もまた他人に対価を求めても、
同じ様に苦しむ人をただ生み出すだけ。

自らの手で人を殺してまで生きようとは思わないので、
それならいっそ、
生きていけないなら自殺しようと覚悟しました。
自殺できないならできないで、
野垂死にでもいいか。。と実家を出る決意もしました。

けれど今生かされています。
すべてを家族たちに伝え、その上でです。

そして折角なので、
今この与えられた機会で試しています。

これまでの私も、今のひろみさんの様に、
何をどうやったら”いいのか”と
答えを探したり、何が正解で何が間違いなのかと
堂々巡りをしてきました。

けれども、それは無いモノ探しだと気付きました。
答え(手段)など人の数だけありますし、
正解(良い)や間違い(ダメ)という二元性に基づく選択肢も
所詮は幻想でありそんなもの初めから無いからです。

ではどうしたらいいのか?

今私がしていることは、
「どうしたらいいか?」という、
手段に正解を求めて実行する様なモノではなく、

「今の自分が何をしたいか?」
という感覚に意識を向け、
それを行うことです。

それは一見、直接的には、
理想の社会の実現に繋がらないように見えるでしょう。

しかし、その先にある社会でなければ、
新しい理想の社会も導き出せないのです。

何故ならば、未来は常に「今」の延長だからです。
「○○すべき、○○でなければならない」
「○○をすればいい」「○○をしてはならない」
というやり方で出来上がった社会は、
同じ様にそれらを続けることでしか回らない社会です。

なので逆算して、
今自分が好きな事(今は仕事にならなくても何でもいい)をしていれば、それが未来になり、社会になるというわけです。

続きます。


>ひろみさん

続きです。

そして自分が今したい事をする勇気と、
それが望む未来・社会を創造することだと信じることが、
カギになります。

私もまだ試行錯誤段階です。
頭でまとめようとしたり、
コントロールしようとする必要はないと思います。

再三になりますが、
それによって出来た社会は、
頭でまとめたりコントロールが必要な
窮屈な社会です。

つまり今の社会と同じですね。

人をおカネや組織や国家を用いてコントロールし、
まとめようとしています。

今それがうまくいかなくなっているのです。

なので、まずはその手段が今後も通用しないことを
認めることが大切なのかもしれません。

そして、今の私もまだ、
「やりたいことをして生きて下さい」としか、
言いようがありません。

だからブログでも何度も念を押して、
「やりたいことをやりたい範囲で」と
申してきました。

休みたければ休んで下さい。

あとは、与えたいと思う事(モノ)があり、
それに対する需要者が居れば、
無理のない範囲で、
無償で与えてあげてください。

その循環が、互いの対価を稼ぐ必要性を
除去していくことになるからです。
今言えるのはこれくらいです。

AKI 2016-08-09 23:29:24


>ひろみさん

追記です。

やりたいことをやるのと同じくらい、
やりたくないことはやらないと決めることも大切です。

周囲からの圧力や義務感や恐れによって、
やりたくないことを仕方無くやり続けるのも自由ですが、
やりたくないことをやり続けることで得られる未来は、
やりたくないことをやらないことで得られる未来よりも
相当酷いという事を覚悟して下さい。

宇宙はあなたの味方なので、
思考や嘘でごまかせても、
身体はいずれ悲鳴を上げ、
次に心が機能しなくなります。

そうなるまで続けるのもいいでしょう。
そこまでしなければ、
周囲の圧力や恐れなどから解放されないのであれば。

どの道、時間の問題に過ぎないという事ですね。

ひろみさんがやりたい様に生きる未来に、
自然と引っ張られると思います。

身体や心は嘘をつきませんからね。

それは私も体験済みなので、
ハッキリ言えます。

AKI 2016-08-09 23:41:50


>AKIさん


>身体はいずれ悲鳴を上げ、
次に心が機能しなくなります。

はい、すでに、乳がんと診断されたこともありましたし、
声が出せなくなってしまったり、
笑ったり、感情を表すことができなくなったり、
引きこもり(今もちょっと継続中ですが)になったり、
実際、今、生きていること自体が不思議だったり
しています。

やりたくないことを、自分を偽ってやってきたから、
これからは、やりたくないことはやらない、
やりたいことだけをやろう、って思ってリセットした
はずなのですが、ここにきて、やりたいこと自体が
なんなのか、分からなくなってしまって混乱している
ようです。

ほんと、人間って、究極のところに落ちつめられないと
なかなか、決心ができないものなのかもしれませんね。
決心して覚悟をしていても、のらりくらりとしてしまって。。。

今、子供たちが夏休みで、いつもより時間的に余裕が
あるので、自分を見つめ直し強化期間になっています。

ありがとうございます。

ひろみ 2016-08-10 00:43:35


>ひろみさん

やりたいことが常にあるとは限らないですからね。
私もここのところずっとそうです。

でもそれでもいいのだと思います。

そういう時は、何もしないということが
今のやりたいことなのかもしれないと、
捉えています。
特に何かをしようとはしません。

最近の記事についても、
ほぼその時に湧き上がる感覚だけで作成しているようなものです。

やりたいことかどうかという判断がつく前に
既にやってしまっているといった感じですね。

多分、人が今本当にやりたい事というのは
そういうものなのかもしれないです。

また、私も何もしていない時や、
やりたい事がない時に不安が一気に押し寄せたりすることが、
今でも頻繁にあります。

それは、自分自身に対して、
条件付きで生きることを赦していたり、
認めたりしているからです。
その認め得るに足る条件を満たしていない時、
自分は何をしているのだろうか?と
自責の念が込み上げてきます。

無条件で自分の生存を認めるということにも、
正直まだ慣れていません。
自分の存在に対して色々な認識もありますからね(汗)

そういう時は気晴らしに散歩したり寝たりします。
一人でもがき足掻いたところで、
何かが一変するわけではないですし、
むしろ心身の状態が悪化するだけです。
これも散々体験させられました(汗)

湧きおこる感情に対しても、
特に何かをしようともせず、
評価もせず、ただ流しています。

見詰め直すのもよいですが、
疲れている時は、
休むことを優先させて下さいね。

「何がやりたいか?」ということさえ、
そもそも頭で考えることではありませんから、
その場その時の感覚に委ねてよいのだと思います。

人生には決して「個」ではコントロールできない
タイミングや機会、御縁というモノもありますからね。
社会は一人ではつくれません。
己をしっかり生きたらなら、
あとは信じて待つことも肝心でしょう。

こちらこそありがとうございます。

AKI 2016-08-10 02:20:37


>AKIさん

>無条件で自分の生存を認めるということにも、
正直まだ慣れていません。

そうなんですよね。

無条件の愛について、この数ヶ月、子供関連で
向き合うことを余儀なくされていました。
自分に対しても「無条件」に愛することができるか
ってことがベースなんですね。。。
読んだ知識として、理解しているのでしょうが、
まだあだ腑におちて、そうだ!って状態になっては
いないみたいです。
たぶんですが、顕在意識よりも先に、潜在意識では
理解しているのでしょうが、エゴや思考、常識が
邪魔するみたいです。

私たちが生きる社会は、「条件」に溢れ返っています。
そして、それを疑問に感じる人はまだまだ少数派です。

>己をしっかり生きたらなら、
あとは信じて待つことも肝心でしょう。

「己」が何者であるのか、何をしたいのか、すべきなのか
など、あいまいになっているのが、現代社会の大きな問題
何だと思います。
己=エゴという認識が、大多数でどーんとしていますから。。。

スピリチュアル系の情報に科学的な研究が追いついてきて
いるようです。
昨日、「解離性同一性障害(多重人格)」に対する「USPT」という療法の存在を知り、調べていました。

「解離性同一性障害(多重人格)」のように表に見えない
乖離を「内在性乖離」というのだそうです。
おそらく、現代社会に生きる大多数の人が、「内在性乖離」の状態だと思いますが、自分の中にあるエゴを認識できていない人が多いから、「内在性乖離」の状態にさえなっていないのかもしれません。
エゴと魂が乖離した状態で同一人物の中に存在しているのですから。。。
これって、左脳と右脳の認知によるものでもあるようです。

話が、あっちこっちに飛びまして、すみません。


ひろみ 2016-08-10 22:28:32


>ひろみさん

返答ありがとうございます。

無条件で自分を愛することについて、
エゴや思考、常識はホントに邪魔してきますね。

私が抱えている、
「人を殺して生きている自分を赦せない・・・だから愛せない」
というのも、裏を返せば、条件付きでしか
自分を愛せないという事ですね。
それは本当の愛ではありません。

無条件で自分を愛する、赦す、認める。
本当に難しいと感じています。
頭ではそれが大切なことだと分かってはいても、
もう一方で、人を殺して生きている自分を赦せない。
ここに葛藤を抱えているんですよね。

また、何でも障害にしようとする医学にも
疑問は尽きませんね。
障害名や病名があるからこそ医者は投薬でき、
おカネを稼いでいる現実もありますから、
それらの名前に囚われる必要はないと思います。

それに翌々考えれば、
あらゆる症状も程度も個々人で異なるのに、
障害名や病名をつけることで一括りに扱う事自体、
オカシなことです。

障害名や病名を付与することで、
「これは異常なことだ」と知覚させることができ、
そこから人は通常の自分に戻そうという反応を見せますから、
それを利用しているだけです。

どれも個性であり、
一人の中に複数の人格?がある方が、
実は健全なのではないでしょうか。

私でさえも、
「私」「ボク」「兄」「俺」になるそれぞれの自分が
あります。
それらに多様な感情が掛け合わされば、
それこそ多重人格を有する者になります。
そして、すべてが自分であるという事です。
それを認めることが大切ですね。

仰るように、脳による認知の違いや、
感覚による認知の違いなどもあるでしょう。
色んな面の自分があるということを認められるだけでよくて、
病名や療法に右往左往する必要もないと思っています。

初めから異常などなく、あるのは反応と症状だけです。
それを病名や障害名にして
どうにかしようとしている現代人の行動こそが異常なのです。

誰かが勝手に作った基準や常識を物差しとして幻想評価したモノは、
無視して大丈夫でしょう。

AKI 2016-08-10 23:58:53

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深い部分まで、沁み込む感じ。。。
「力づくはエゴ・・・」とも関連してるし・・・。

「何もしない」「信じて待つ・・・」か。
そんなこと、私も言ったことあるかも。
ブログでも書いてるかも。

「暗い夜にじたばたしても
どうにもならない。
夜が明けるまで待ちなさい。
観念しなさい。」

昔々言われた言葉がリフレインする。。。
この記事に書きました。
そして、この記事でも書きました。

そして、「無条件の愛」が出てきた・・・
『魂の法則』『愛の法則』ともやっぱりシンクロ
しているのね・・・。

すべては、つながっているってこと。。。

9/8/2016
7.7

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久々の雲で涼しい感じの夕方でした。


季節はずれだけれど(笑)
全ての人々に起こりますように
祈りを込めて・・・。