”愛”に満ちた家族

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興味深い映画についての記事を見つけたので、
転載させていただきます。


<転載開始>(太字は、私が入れました)

 前に、東京のセミナーのついでに新宿の映画館で「アニマル・キングダム」を観た。オーストラリアの実在した犯罪一家をモデルに、凶悪犯罪で生計を立てる親族に引き取られた少年の葛藤を描くクライム・ドラマだった。
 メルボルンで、母と二人で暮らしていた17歳の高校生だが、母は突然にヘロインの過剰摂取で死亡する。行き場のない彼は、祖母に引き取られる。祖母には、彼の母の他に、3人の息子がいた。彼らは皆家族思いで、一見、明るく温厚な人物に見えたが、全員が銀行強盗や麻薬の密売など、あらゆる凶悪犯罪に手を染め、その収入で生計を立てていた。
 祖母は、息子たちの犯罪を黙認し、事実上裏ですべてを仕切っていた。彼の母は、そんな一族から距離を置くため、息子を連れて家を出たのだ。だが今や他に行くあてのない17歳の彼には、その家で暮らしていくしか道は残されていない

 映画は少年の目を通してこの犯罪者一家の姿を描いていく。そんな家族でも依存するしかない少年の立場である。祖母は、表面的に息子と孫に優しい。二言目には、「さあキスをして」と「愛」をしめしつづける。この祖母の歪んだ愛情と支配がこのような家族を生み出し、過去に少年の母親が出て行った原因であろう。そして17歳の彼だが、やがて、彼が犯罪にまったく無関係でいつづけることは不可能となる。祖母の非情な「愛による支配」であり、もっとも人間くさいはずの「家族を、「アニマル・キングダム=野生の王国」」あるいは「野獣の王国」と表すほど、殺伐とした世界が広がってくる。自分の「愛」のためには、息子でも孫でも殺す祖母である。頼る者のいない孤独の中で、逃げ場を失った彼は、自分自身が生き残るために、なにかを選択しなければならなくなった……。

 事実にもとづいたクライム・ムービーだった。なのに凶悪犯罪と異常な心理を淡々と描き、興味ふかい映画だった。

 これのようなことは、程度の差はあれ、どの家族にも起こる。どの家族にも起こる支配と被支配である。

 尼崎のドラム缶殺人事件だが、知人との喫茶店での暇話で、どうしたらあのように「死ねといえば死ぬ」まで人を支配できるのだろう、という話になった。すごい人物だなあと、二人で感心した。
 その角田美代子容疑者が留置所で自殺した。親族間の「アニマル・キングダム」であり、どうしても映画と重なる。複数の家庭に入り込み、相手を恫喝し、従属させて支配し、犯罪に手を染めさせる構図は、オーストラリアの事件とずいぶんと似ている。角田容疑者も、表面はその「ファミリー」に対して「愛」を十分に示していたとか。みなを引き連れ、「好きなものを買いや」「すきなものを食べや」とか。やさしい「母」である。反面、ののしりだすと、相手を徹底的に否定し、夕方からの怒鳴りが、朝までつづいたとか。この執拗きわまる罵倒を何時間も、何日も、何年も、繰り返し繰り返し受けて、みなが、やがて歪んでゆく光景の中で、健康な感覚が麻痺し、思考が停止し、その罵倒の苦痛から逃れるために「脳も従属」していったようである。結果として洗脳技術を駆使したことになる。冤罪事件の構図もそうだ。閉じ込められた空間で、「執拗」な刑事たちの追及に、やがて無罪の人が自白をはじめる。さらには改悛の涙まで流す。「ママの言うとおりだ」と。「キングダム」の完成である。妹の夫の不可解な死のほかに、この「キングダム」の中で、いくつもの保険金殺人が行われ、隠蔽のための自殺強要が行われる。

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 この図式の理解として「共依存」というフレームを使えば、さらに理解が易くなるのだろうか。DV男からDVを受けて逃れた女性が、また別の同様のDV男と暮らして新しいDVを受けるというのは、よくある話らしい。DV親の子供にも同様の現象というより、症状が診られるとか。片方は暴力で支配することに依存し、もう片方は、暴力を受けて支配を受けることに依存する。不思議な構図だが、医療の大問題であるとか。程度の差はあれ、万事が自分の思うようにならないと気がすまない人間はおおい。強い自己主張と自己正当化をするが、相手に対する共感感情はないし、相手の言葉を聴くこともない。思うとおりにならねば、怒りと復讐心を爆発させるだけである。

 また、角田容疑者は、日常的に睡眠導入剤と抗うつ剤を飲んでいたとか。そして、この執拗な攻撃性、反抗挑戦性である。少女時代から地域で有名な暴力小学生・中学生であり、そして、この年齢までつづいている執拗な攻撃性である。推測だが、何時間でも相手を罵倒しつづける特殊な性向は、おそらく脳内ドーパミンからの問題とされるある診断名、アインシュタインやエジソン、チャーチルやケネディもそうであったとされるある性向から来ているのだろう。自己正当化、他者に対する理解と共感が皆無的に欠如、暴力性、はげしく執拗な攻撃性、反社会的・反抗挑戦的言動、これはみずらかもそうであり、今は南の島で医師をしている「やんばる」氏が、「自己正当化」型として分類している中にカチッと当てはまる。このタイプは、モラル・ハラスメント、パワー・ハラスメントの加害者になるとか、氏は言う。そして、まだ子供なら治療・対処の方法や治癒の可能性があるが、もう大人になれば、「被害者を逃がすしかない」というのが医療現場の実際のようだ。

 二つの話とも、極端な話ではある。でも実話でもある。「愛にみちたファミリー」の話である。鎖でつないでもいないのに、みなその「共依存」の中で安住する。実話がカリカルチュアとなるならば、これはわれわれの内面の問題である。





「愛に満ちた家族」というタイトルの記事ですが、
もちろん皮肉でしょう。
私たちの多くは、「エゴ的な執着」と「愛」を勘違いして
「愛」だと思い込んでいます。
これは、古くから続く、ネガティブスパイラルの連鎖です。。。

「エゴ」は「恐れ」で相手に執着し支配しようとします。
あからさまな、分かりやすい「恐れ」が感じられ、いかにも
悪人であれば、私たちは、避けることができますが、巧妙な
ものには油断をしてしまって、最終的には洗脳され逃げる
ことができなくなってしまいます。

表面的な優しさに情をほだされてしまって、気づけば
DVとか、毒親とか、精神的虐待とか・・・枚挙に暇が
ありません。

大人同士であれば、何らかの方策を取ることもできますが、
家庭内で、親が子どもに対して恐怖支配することは、表には
出にくいことなので、事件が起こって初めて知らされることに
なってしまいます。

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その最たるものが、先ほど目に入ってしまいました。
「自爆攻撃に送り出す8歳と7歳の子供を抱きしめる母親!」

どちらの記事にもかなり残酷な死体の写真がありますので、
見たくない人はリンクの記事を開けないでください。

大手新聞でも記事になっていました。(残酷な写真はありません)

テロは、「恐れ」や「不安」を広げて、人々を心理的に
支配する目的で行われます。
テロを行う人自体が、実は、「恐れ」や「不安」に囚われて
洗脳されてしまっている被害者であることが多いです。

宗教の名の下に、今なお行われている、自爆テロ。
それも、子どもにやらせる親がいるなんで・・・。
もう、人間のエゴの究極を見せつけられたような気がします。

子どもは、親を愛し信じています。
親が言うことは絶対なのです。

「愛」に満ちた世界を実現させるためには、私たちは
次の世代の担い手である、子どもたちを愛して育て
子どもたちが実現してくれるのを期待するしかありません。

こどものいじめは、大人の社会の反映です。
加害者の子どもは、親からされたことを自分より弱そうな
お友達にしているだけなのです。
つまり、親の真似をしているだけ。。。
TVなどで、見ることはあっても、やっていいことと悪いことを
区別する能力を持っているので、影響を受けません。
でも、親がやることは、やっていいことだと誤解しますから
親は子どもに対しての言動は気をつけなくてはいけません。
親に十分愛されていたら、お友達をいじめる子にはなりません。

以前シェアした、動画です。

また、先日シェアした、いじめの記事です。

それでも、希望はあります。
「ディセンダント(Los Descendientes)」
根っからの悪は
存在しない
どちらの世界に生きるか
決めるのは自分
親とか関係ない

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「魂の法則」や「愛の法則」の中で、このように書かれています。

偽りの愛が執着であり、それは執着の対象を閉じこめておく監獄や刑務所のようで、執着に負けた者を牢屋番に変えてしまう。鳥をかごに閉じこめていた人のように、執着で苦しむ者は、生きることも生かすこともできない。

怖れは、家族内外を問わず、子どもが肉体的または精神的な暴力や虐待の対象となった幼児期に由来することが多い。

君たちには、子どもがいないのか?子どもたちに、戦争に耐え、傷ついたり殺されたり、飢えたり苦しんだりして欲しいのか?君たちの家や村や町が、破壊されたいのかい?もしそうでないのなら、それは相手側にとっても同じことで、戦争をすれば、望まない苦しみ、痛み、破壊を与えてしまう、と考えてみるのだ。敵側にも苦しむ子どもがいて、その子たちは貧困、飢餓、痛み、苦悩、破壊と死を患うのだ。
君たち自身の子どもに望まないことはすべて、他人の子どもにしてはならない、とはっきりと言っておこう。他者の子どもにすることは、実際には「霊的裁きの法則」によって、将来の君たちの子どもに対してすることになるだろう。

君たちの世界の弊害の多くは、まだ感情に鎧を着せていない子供たちを愛せば、解決されることだろう。愛せば、愛を許容するだろう。子供たちを一世代にわたって愛せば、世の中は一世紀も経たないうちに天国へと変わるだろう。

「私が経験した苦しみはすべて、もう沢山だ。自分にも他者にも、もう結構。少しは人生がわかったよ。自分がされて苦しんだことは、他の人にはしないようにする。父母に求めても貰えなかった愛のすべてを、私は、自分の子どもや近親者や人生に現れるすべての人に与えるぞ」と言う人はいないものかと思うのだ。
変わろうという意志と感情の力によってのみ、人生というものは逆転し、憎しみの連鎖を断ち切れる。こうして、固く締められていたネジは緩み始め、愛のない方向へ回されたネジは一つまた一つと反転して行き、最後には完全に引き抜かれる。
苦痛を感じ愛のない状態にいるすべてが、このような決断をしたとしたら、世界は一世代で変わるだろう。両親から愛された子どもは、保身の鎧を被らない世代であり、愛されて育てられたので、愛することを恐れない世代となる。

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愛されて育てられる世代の子どもたちがいれば、君たちの世界は急速に変化するだろう。愛には世の中を変える力があるのだ。君たちには世界を変えられなくても、愛を知ることができた次の世代が変えてくれるだろう。

愛がなく生まれた子の多くが、虐待、無理解、無配慮、冷淡という形での両親の愛の欠如に苦しむ。現在誕生している子どもたちは、無数の転生経験から得た学びの成果として、過去の時代よりも進化した繊細な魂なので、非常に傷つきやすい。そのため、感情面への無配慮や精神的な不快感に対する彼らの苦悩の度合いは、過去よりも大きいのだ。

親がいくら、問題はいつも悪い態度をとる子ども側にあるのだと信じ込もうとしても、西洋の子どもたちの大半の苦しみの原因は、両親から愛されていないということだ。


私たちよりも、子どもたちのほうが、実は
魂が進化していて、意識レベルも高いのです
が、大人が誤った教育をしてしまうことで
子どもたちの意識レベルが下がってしまい
社会に適応するにしたがって、ほとんどの人が
魂(感情)と肉体(思考)の乖離が起こって
エゴ的な生き方を選んでしまったり、病気に
なってしまったり・・・が現代社会なのです。

大人が魂(感情)を抑えることなく生きることが
でき、子どもたちをありのまま無条件に愛することが
できたら、地球は美しき緑の星のようになること
でしょう。
そんな日が来るのを夢見ています。。。

∞ ∞ ∞

全ての人々に起こりますように
祈りを込めて・・・。

■本宅の「愛のバクダン」シリーズ

第7弾「愛のバクダン」~オバマ大統領の広島演説



「愛のバクダン」無差別投下中~♪


生きとし生けるものが
全て幸せでありますように・・・


今日のfacebookの投稿。

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先日のクリスマスの日、いつも散歩をする道で、ハート型の
石を見つけました。
毎日通っているのに、全然気づいてなくて、あの日、まるで
突然生まれたかのように、出現しました。
不思議なこともあるものです。
6年前の春、マドリッドの町の中にハートの装飾を見つけた
ときの驚きにも似た、今年の春にブロック塀にハート型の石が
はめ込まれているのに気づいた時のように、いつも見ていた
はずなのに、見えていなかったことに気づくときって、
自分自身の内側の変化と連動しているような気がします。




2017年1月5日(12.8)追記
お友達にメッセージを書いていて、
ふと思いついたこと。

”愛”に満ちた家庭では、いつも北風が吹き
愛に満ちた家庭では、いつも太陽が輝いている
そういう違いなんじゃないかと感じます。

<1月6日(12.9)>
でも、北風が悪くて、太陽が良いという、
そんな単純なことでもないんですよね。
状況が変われば、北風がありがたくて、
太陽が疎ましいこともあります。

それぞれの存在、事象は、ニュートラル、
善悪はなくて、良い、悪いと判断するのは、
受け取る側の私たち。
私たちは魂の進化のための学びの途中だから。




∞ ∞ ∞ ∞ ∞ ∞ ∞ ∞ ∞ ∞ ∞ ∞ ∞

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