緘黙における、よくある誤解について

本当に、緘黙って、厄介な症状です。。。
一番下の息子がそうですし、私自身も、経験した
ことがある(今でも時々あるし)ので、分かります。
周囲の人たちの理解がとても大切なんですよね。。。

緘黙の人だけでなく、全ての人が、ありのままに
受け入られることができる社会へと進化できますように。。。

私たち一人一人の意識と行動にかかっているんですよね。
ぜひ当事者の方の声を読んでみてください。

そして、身近にそうかも、って思う人がいたら、
そのまま受け入れてあげてください。

転載します。


★緘黙における、よくある誤解について/
 身近に緘黙と思われる人がいる方へ

私なりにまとめてみました。

*専門家ではありませんので一当事者の声として
参考程度にお読みください。

<話したくないのではないか?話しかけられると嫌なのでは?>

話したいけど、話せないのです。
自分ではなかなかコントロールができません。
人より少し、対人緊張が強いのかもしれません。
本当は、ありがとうやごめんねなどを、言いたい人が大半です。
返答がなくても、他の人と同じように接してくれるのは
内心ではとてもうれしいです。
表情や言葉がなくても、呼びかけや働きかけを受け取っています。
安心できる雰囲気だったり、話せる人と一緒だったり、
役割や目的、何かきっかけをつくってもらえたりすると、
その場に居やすく話しやすいです。
話せないことをいつでも気にしていますので、
そのことを責めたり、意識させられたり、
話させようとされるととても悲しいです。
話せなくても、安心して過ごせる場ではリラックスできます。
緊張してしまいますが、話しかけられることが嫌という
わけではありません。
うまくお返事できなくて申し訳ないのですが、ありがたいのです。
本当は周りの人ともっと仲良くしたいという気持ちを
もっている緘黙の人はたくさんいると思います。
人や場、雰囲気など、環境に少しずつ慣れる場合もあります
ので、長い目で見守ってくださるとうれしいです。
スモールステップで努力している当事者の方もたくさん
いらっしゃいます。

<無口・無表情なので、気持ちがわかりにくいが?>

もっと気持ちや表情を発したいけれど、できなくなってしまうのです。
そのため、反抗的、不真面目、頑固、無礼、やる気がないと
思われがちですが、そうではありません。
無視をした、相手を嫌っているというのも、もちろんちがいます。
どうしても話せなくなってしまうのです。
自分でもどうしていいのか分からないのです。
何を考えているのかわからない、何も考えていないという誤解も
ちがいます。
話しかけられた瞬間はパニックで頭は真っ白ということもありますが、
普段は他の人と何も変わりません。
無口で無表情でも、喜んでいます、傷付いています。
できるのにやらない、がんばればできると見られることもあります。
でも、特定の状況になると体が動かなかったり、話せなくなったり
してしまうことがあります。
頑張ったらできる部分とできない部分の線引きはむずかしいですが、
頑張ればできることならやっていると思いますので、できない部分は
やはりできなくて困っていることが多いのではないでしょうか。
自己表現、自分を出すことも難しいです。
美術の授業などでの作品づくりや作文、体を動かす体育の授業なども
苦手な場合があります。
なぜか自分を出すこと全般に恐怖感が伴います。
話したいのに、話せないので、話しかけられるのがこわいのですが、
話しかけられたらうれしいですし、それでこちらも話せたときは
もっとうれしいのです。
お願いばかりになってしまいますが、誠実に、自然に、人と人として
接してほしいのです。
緘黙のその人ではなく、緘黙も含むその人まるごとのチャームを
見てもらえたらと思います。
誤解に遭遇したとき、場面緘黙という症状が一人歩きしてしまって
いるとき、当事者本人にはその誤解を解いたり周囲に理解を求めたり
することは困難な場合が多いと思われます。
手を貸してほしいと頼むこともなかなかできないかもしれません。
それでも、もしそんな状況に居合わせた時などには、どうか手を
貸してくださいね。

★自分が場面緘黙だと初めて知った当事者の方へ

今はショックが大きいかもしれません。
悔しさや怒り、悲しみ、そうだったんだ!というとても複雑な
気持ちだと思います。
もっと早く知っていれば!こんなに苦しまずに済んだのでは?
もっと早く話せるようになれたのでは?という気持ちも
渦巻いていると思います。
私は27歳の時ほぼ話せるようになってから知ったので、
やはり愕然としました。
他の当事者の方もおっしゃいますが、現在親御さんや先生、
友人など周りの人の理解と支援を受けられている子どもたちが
羨ましいです(もちろん、理解と支援はもっと広がってほしい
ですし、子どもたちへの早期の対応を願います)。
ちょうど成人した頃には、二次症状と呼べるような場面緘黙とは
別の様々な症状・苦しみも経験しています。
それでも、世界に一人だけの悩み・苦しみではないという
安心感もきっとあると思います。
私は、まずは言葉にならない衝撃でしたが、他にも緘黙の人は
世界にたくさん居ると知って、これはむしろ人間的な脳や心身の
働きなんだとも思えました。
そして、たくさんの緘黙の当事者の方々と出会い、交流し、
言葉を交わしました。
緘黙当事者としての先輩・後輩もたくさんいますし、
すばらしい専門家や支援者、保護者の方たちもいます。
自分ごととして考えてくれる人は、この世界には思ったよりも
たくさん居ますよ!
場面緘黙の情報や、関連書籍、ブログやツイッターなど当事者の
声も増えています。
辛くなった時はたすけあえることを願って、私も発信しています。

(最近は、場面緘黙の克服などをうたって当事者の気持ちを
利用するかのような怪しいサイトもありますので、ご注意
くださいね。)

★誰かに「あなたは場面緘黙だ」と言われた当事者の方へ

場面緘黙の認知が広がること自体は嬉しいが、学校や、職場や、
近所などで自分のことを噂されるのではないか。
誰かに後ろ指差されるのではないかという不安な気持ちが、
当事者の方にはあると思います。
周りの人に知ってほしいけど知ってほしくないという気持ちは、
私もありますし、長年抱えていた気持ちのひとつでもあります。
例えば同級生や先生に、あなたは場面緘黙なのか、と思われたり
言われたりしてしまうかもしれません。
逆に、場面緘黙だから話せなかったんだ、話しかけると辛そう
だったんだ、と理解してもらえることもあるでしょう。
周りの人が場面緘黙を知ることで、あなたへの働きかけが良き
対応に変わるケースもあるかもしれません。
まずはそちらを期待したいですが、もし傷つくような悲しいことが
あった時には、どうしたらいいでしょうか

(私も、近いことを言われたことがありますが、その時には
傷つきながら耐える→家で悶々とする・泣くといったことしか
できませんでした)。

もし何か言われても、あなたは何も悪くないのだから堂々と
していてね、なんて言葉もあまり励まされませんよね。
なので、あなたがもしも傷ついた時には、闘っているのは
私ひとりじゃないと、思い出してください。
当事者としての先輩・後輩がたくさんいます。
場面緘黙の苦しみを知る人、ひとりひとりの悲しい気持ちを
大切にしてくれる人、知ろうとしてくれる人はいるんだと、
そう思ってみてください。そして、できれば出来事や気持ちを
言葉にしてみてください。
もしも発信した時には、誰かに届き、何かが変わるかもしれません。
発信しなくても、言葉で自分のことを伝える力になっていきます。
話せなくても、言葉は私たちの味方です。
いつか必ず役に立ちます。
私にできることはこんなことを書くことぐらいですが、そう
思えたら少しは心が落ち着けるかもしれません。
メッセージ的な発信は苦手なのでおこがましいようで落ち着きませんが。。。
読んでくださって、どうもありがとうございます。















上の写真も、<かんもくの声>の投稿から。


何度も書いていますが、緘黙は、脳の扁桃体が過剰に敏感で
感情や行動を意思でコントロールできないことが原因なんです。
危険!怖い!と本能的に感じた瞬間に、体が勝手に反応して
固まってしまっているのです。

相手を攻撃するのではなく、逃げるのでもなく、ただただ、
固まって動けなくなっている状態、それが緘黙であり、緘動の
症状です。

心臓の鼓動を自分の意思でコントロールできないのと同じです。

先日の記事でも書きましたが、現代社会は日常的にストレスに
さらされていて、ドーパミン依存症、中毒症になってしまっていて
そういう本能的な部分が鈍感になってしまっている人が多いです。
というか、鈍感でないと、依存症、中毒症でないと、社会に適応
して生きていけないからなのかもしれません。

でも、緘黙、緘動の症状を持つ人たちは、社会に適応するための
意思を持っていても、体が脳の扁桃体が神経が細胞が、勝手に
反応してしまって、まるで、社会を拒んでいるように見えて
しまいます。

だから、苦しむんです。
自分は、学校で話したいのに、社会に適応したいのに・・・。
話せないから先生に怒られ、余計に追い込まれてしまう・・・。
緘黙・緘動だということが、早い段階で分かれば、対処もできますが、
そうでなくて、何年も、その状態が続いていたら・・・、学校という場、
社会という場に対しての恐怖心や違和感や、どんどん大きくなって
登校拒否になってしまったり、引きこもりになったり、人間不信に
なってしまったり、うつ病になったり・・・、最悪は自分なんて
誰にも理解されない、いないほうがいい、と命を絶ってしまうかも
しれません。

とても敏感な体質だから、周囲の人たちの考えていること感じている
こともなんとなく(もしかしたら、はっきりと)感じ取ってしまって
誰にも言うこともなく、一人で傷ついてしまっている可能性もあります。

本当に、本当に、デリケートなんです。
緘黙って・・・。

私は、息子の緘黙を、誤解や勉強不足と諸事情で、9年も放置して
しまい登校拒否するまでに、追い詰めてしまいました。

今も、まだ登校拒否気味の状態は続いていますが、それでもきっと
楽になっていると思います。

「いやだ!」という拒否の反応が出てきた、というのは、ある意味
大きな一歩なのかもしれないなーと思っています。
本人にとって学びであり、私自身への学びであり、って感じです。

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アンズのお花です♪
咲き始めました!

アーモンドのお花もちらほら咲き始めています♪

今日は、曇っていて、寒いですが、確実に春は近づいて
来ているんですねぇ~。

今日で2月は終わり。明日から、3月ですし。。。

<参考過去記事>




<「愛の法則」の本からの転載記事>

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「平和は私たちの手の中に・・・」



不登校だったり、発達障害と言われている
子供たちが増えているのもわかる気がします

今の日本の教育を変える
子供たちなのかもしれません

国を動かす力がある
子供たちなのでしょう

なんかそう思えたら納得

枠の中からはみ出さないように
生きてきた(大人の)私達

本当は苦しいけど、
出ちゃいけないと思って生きてきて、
それが当たり前だと思っていた。

でも

そろそろ自由にいきませんか?

好きなことをして、
楽しんで生きていきませんか?

好きなことをすることと
勝手気ままにいきることは違うと思うのです

履き違えずに好きなことができたら
いいなって思いました。