lalalaさんの記事=丁寧=

先日「丁寧に生きる・・・」で書いた、「丁寧」という言葉の本当の意味をlalalaさんが
安寧~あの世とこの世の同等なる神位神格を丁寧と申します~」という記事
中で説明してくださいました

というのは、

「丁寧に生きる・・・」の記事を書いた時、lalalaさんの

私が、コメントを書いたので、それに対して、意味を教えてくださったのだ

と思います。

この数日、いくつかのブログで「丁寧に生きる」という言葉が続いています。
全く別々の人たちのブログで、です。
つまり、日常を丁寧に、家族との絆を大切にして、生きる、っていうことが大切なんだ
ということを教えてくれているのだと感じました。
気をつけたいと思います。。。」


そして、lalalaさんが書いてくれた記事に書いたコメント。

「ふと、今気づいたのですが・・・
「丁寧語」という言葉は、神との対話のための言葉なのかもしれない・・・。
尊敬語は、話す相手に直接敬意を示す言葉で、
謙譲語は自分自身を下げることによって相手への敬意を示す言葉で、
対象がはっきりしているけれど、丁寧語は、直接的に誰というわけでなく、
その会話を聞いているであろう、大いなる存在つまりは神への敬意を
示しているということなのかもしれない・・・と感じました。

というか、私達一人一人が、神の分身であるのだから、人間同士の
対話であっても、実は内在神同士の対話であるから、丁寧語を使うのが、
言葉遣いとしては正当であるのでしょう。
日本人は、そういうことを無意識のうちに知っているから、今なお
「丁寧語」という言葉使いが存在するのだろうな、と感じました。」


何気なく使っていた言葉だけど、とても奥深かったんですね。。。
でも、たぶん、潜在意識ではみんな知っているんだと思います。

言葉がぞんざいな人は、心(魂)をどこかに置き忘れたり、傲慢に
なりすぎてしまって、潜在意識を全く感じれなくなってしまった人って
ことなのかもしれません。

古きよき時代の日本映画を見たら分かるように、戦前は、家族間・
友人間でも敬語、丁寧語を日常的に使って話していたのですから、
これは、戦後の教育での間違った西洋的な平等思想からきている
とはいっても、家庭内での躾が行き届かなくなってしまったからと
いうのが大きな原因のような気がします。。。

私自身のことでもあるので、あまり言いたくないのですが、女性、
つまりは、母親の意識の低下でもあり、ライフスタイルの変化による
家庭内での父親の存在の希薄さが拍車をかけたような気がします。

lalalaさん、いつもありがとうございます。