番外編「2011年11月11日のこと・・・」

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2年前の今日、朝7時ごろ、寝室で話し声が聞こえて
目が覚めました。

当時、私は、寝室ではなく、サロンに寝ていました。
簡単に言ってしまえば、家庭内別居です。

夏の間は、子供たちと一緒に、テラスで寝ていたのですが
寒くなって家の中で寝るようになったとき、寝室で一緒に
寝ることが苦痛になってしまったので、逃げていたのです。

寝付くまで、どうしても、何か話したりするじゃないですか。
そのときの話題に耐えられなくなってしまったんです。
私が話したいことと夫が話したいことが、ばらばらで会話が
全く成り立たなくなったのが、いつころからなのか、記憶が
はっきりしません。。。

6月の初めに、ある出来事をきっかけに、夫に干渉するのを
止めよう、少なくとも、控えようと思い始めてから、私から
夫に対して距離を置くようにしたのだということは覚えています。

それでも、夏までは、一緒に寝室で寝ていましたし、
食事はずっと作っていましたから、夫が寝室から出てくれば
一緒にサロンで食事をしたし、夫が出てこなければ、寝室へ
持っていっていました。

そう、そんな風に家庭内別居をしていたんです・・・。

あの日の朝、話し声で目が覚めて、終わったと思ったら、
私の携帯に電話が・・・。
夫でした。
「今、救急車を呼んだから。」
「えっ?どうして?」
「呼吸ができないんだ・・・。」

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飛び起きて、寝室へ。。。
寝室には2段ベッドも置いてあって、下の二人が寝ています。
救急車が来ても、どうやって、体の大きな夫をベッドから下ろし、
連れて行くのか・・・想像もできなかったのですが、とにかく、
移動する場所を確保しなくては・・・、と、寝室から玄関までの
廊下などに置いてあった障害物を物置部屋に突っ込みました。

そして、夫のパジャマの上に着る服などを用意。。。

20分位して救急車が来て、車椅子を寝室まで持ってきて
1階に下ろし、その後夫を簡易ベッドへ寝かせて、救急車に
乗せていきました。
あまりの手際のよさに、さすがーって感じでした。

私は、夫のことは、お医者さんや看護婦さんに任せようと思い、
子供の学校の準備とかがあるので、救急車に乗らずに家に
残りました。

呼吸ができないとはいっても、見た目には呼吸困難で苦しんで
いるようにも見えなかったので、そんなに切羽詰まっているとは
思えず、診療所で、酸素吸入をしばらくしたら、落ち着くだろう、
くらいに思っていたので、子供たちを送り出した後、片づけを
して、診療所へ迎えに行くつもりで行ったら・・・。

「サラマンカの病院へ搬送になった・・・」という言葉。。。
「・・・・そんなにひどい状態だったんですか?」
「ここじゃ、処置ができないからね・・・」
「サラマンカのどの病院?」
「まだ、分からない。」
「じゃあ、私はどうしたらいいの?」
「どの病院になったか、連絡があるまで家で待ってなさい。」
「・・・・」

家に戻って、落ち着かないまま、何をやっていたのか、詳しい
記憶が無いんですよね。。。

昨日まで、ちょっと足元が不安定だったとはいえ、自分で立って
トイレに行ったり、息子と話したり、ご飯も食べていた人が、
なぜ急に・・・そこまでひどくなるの?!
なぜ、私は気づかなかったの?

という感じで、ただ、どうしよう・・・何で?どういうこと?という、
後悔と疑問が頭の中をぐるぐるしていたのは、覚えています。

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昼過ぎぐらいだったでしょうか。
病院から電話がかかってきて、搬送先が分かりました。
知り合いに電話をして、連れて行って欲しいと頼もうとした
のですが、病院名を言ったら、「じゃぁ」って感じで、
とてもそっけないので、頼み損ねてしまい、近所の人が
心配して来たときに、病院名を言ったら、「その病院は
サラマンカから離れてるから、行くの大変なのよ。
それに、ホスピスだから、もう帰って来れないかも・・・」と
言われ、午後から自力で行くのは無理と言うことが分かり。。。

ちょうど金曜日だったので、翌日土曜日に子供たちを
連れて行くことにしました。

そのとき、ちょうど、夫から、電話があったんです。

声がすごく元気で、血栓防止のための薬の服用スケジュールを
教えて欲しいと、まるで、いつもの調子で、びっくりしました。
どこが、呼吸ができないと言っていた人なんだろう?!って感じ。
酸素吸入をして、調子がよくなったのかしら、「じゃぁ、明日
子供を連れて行くからね」と言ったら、ちょっとさみしそうな
様子でしたが、「病院が遠いから、すぐに行けない、ごめんね」
「じゃあ、また明日・・・」

翌土曜日病院へ行くと、決めたはいいけれど、バス停から
どうやって行くか・・・。
近所の人が昔家族が入院していたときの路線バスの時刻表を
見せてくれたけれど、30分とか1時間に1本だけ・・・。
タクシーに乗ったら、かなりの金額がかかると言われて、
どうしたものかと、しばらく考えていたら・・・。
名案が。。。!

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それは・・・普段はサラマンカに住んでいて、週末だけ村で
過ごす家族に電話して、もしも明日アルベルカに来る予定が
午後なのなら、サラマンカのバス停から、夫が入院した
病院まで連れて行って欲しいこと、その後アルベルカまで
一緒に乗せて欲しいということを頼みました。

緊急事態だったので、誰かの助けに頼らないといけないと思い、
私自身はそんなにすごく親しかったわけではないのですが、
子供たちが夏の間よく遊んでいたのでお願いしました。

翌朝、朝が早いので、早く寝よう、寝よう、と思ったけれど、
神経が高ぶって、なかなか眠れなくて、2,3時間うとうと
したくらいだったような気がします。。。
細かいことは、覚えていないんですよね。。。
本当に。。。

あの日の前夜、書いたブログ記事。。。
『特別な○○・・・って?(2011-11-10)』


今、読み返してみて、状況的には、もうかなり厳しい状態だという
ことは、覚悟しているって感じですが、寝て起きたら、救急車で
病院へ・・・なんてことは、想像もしていなかったんですよね。。。
まだまだ時間があると思っていたのに。。。


11/11/2013
10.9