「愛の法則」から 虚栄心(見栄)・自尊心(プライド)・自負心(尊大)⑦

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「愛の法則」から
虚栄心(見栄)・自尊心(プライド)・自負心(尊大)⑦ (P209~)

お話によると、エゴは、進化の発展上に元々備わっていたように思えます。

完全性へと向かう過程において、魂がある程度の期間にわたり利己的な段階を経ることと、それが多くの転生で継続し得るのは避けられない現実だが、それは有益であるとも言えるのだ。なぜなら、自分の個別性や意思を再認識して、愛がない時にどう感じるかを味わえるし、愛を感じられるようになるにつれて、愛がある時の気分をありがたく思えるようになるからだ。
そのため、初期的虚栄心と名づけられるエゴの最初の顕現形態は、若い魂に特有なものなのだが、基本的に物質主義で、最も原始的な本能を充足させることに向けられる。
物質主義と消費主義や快楽主義といった姿勢につきものの貪欲と強欲や情欲が目覚める。そして集団的には、帝国主義や植民地主義、つまり権力や物質的な富を切望して他者を搾取する態度となって現れる。
人類の大部分はまだ霊的な思春期に浸りきっているので、君たちの惑星では未だにこの段階が優勢だ。
魂が感情についての知識を得るに従って、このような物質的なエゴは霊的なエゴへと変容していく。それがより発展した虚栄心の段階だ。
その段階でも魂はエゴにしがみついているが、同時に感情も発達させ始めている。与えることにはまだ抵抗があるが、愛が存在するのを認識できてその恩恵もわかるので、愛を受け取ろうとする。
強欲は執着に変わり、貪欲は独占に変わる。だが、それは一夜のうちに変化するのではなく、段階的にそうなるのであり、中間的な虚栄心という過渡期が存在する。
中間期には、エゴのあらゆる形態(貪欲・強欲・執着・独占)が様々なレベルで混在しており、これが現在の地球の支配的な状況なのだ。
これらのエゴのうち一つから脱却するのにも、計り知れない歳月がかかることがある。しかし魂がエゴを自覚し、それに流されれば他者を傷つけると認識した時から、自己の行為にもっと責任を持ち、自分がもたらす苦悩に関しても敏感になる。するとある時点で、魂は感情に目覚め、愛する必要性を感じ、幸福になるためには愛さねばならないと気づく。

それからどうなるのですか?

愛を追い求め始めるのだ。そして自尊心の段階が始まる。
この時期に魂は、愛を受けるだけでなく与えることも模索し始めるが、多数の障害に遭遇する。感じたり自覚をし始めるが、理解されないことや感謝されないことを身を持って体験し始める。それは、人類の4分の3という大多数が、まだ虚栄心の段階に陥ったままだからだ。未だに自尊心の前段階の因果を体験し、何が起こっているのか理解できないのだ。
だから世の中全体を敵に回したように感じ、改善して愛し愛されたいという自分の思いが拒絶される気がする。感情的に失望してそれに負けてしまうと、エゴが頭の中で再び勢いを得て、発見したての感情を傷つけられまいと、自分の心を偽ってしまう。そして孤立することが苦悩を回避する手段だと思って、再び不信や内向、孤独に陥る。
苦悩を避けるために諦めるという手段を選ぶ場合もある。利己主義者からの攻撃をかわそうと、その期待通りに自分を変えようとするのだ。霊的な病の中では最悪なものが芽を出し始めるのだが、それは、多くの肉体的な重い病の原因となる。つまり、自分の意欲と自由意志を放棄することであり、極端な場合には、魂はありのままに行動することも生きることもできずに完全に周囲に隷属し、強制されたことを自分が選んでいることだと信じこむに至る。
しかし、これでは苦しみたくないがゆえに苦しむことになり、それは何の霊的な成長ももたらさない不毛な苦悩である。
人類の4分の1ほどが、この自尊心の段階にいる。虚栄心から自尊心への段階の移行も突然起こるものではなく、その過程は緩やかであり、かなり長期にわたって両者の欠点が共存して顕れる。

それで、この話はどう続くのですか?どのようにこの段階を超えるのですか?

愛すること、それだけだ。愛のみが自尊心の殻を敗れるのだ。
説明したとおり、プライドの高い者の方が、見栄っ張りな者よりも理解力があり、自分を傷つける者の仕打ちを受け止められるのだ。つまり、愛のない利己的な者は単に進化途上のまだ若い魂にすぎず、感情の学びとエゴの放棄には時間がかかるので多数の転生が必要かもしれないが次第に学んでいくだろう、と理解できるのだ。
一つの人生で目立った変化が見られなかったとしても、進化していないことにはならない。今生での善人は、前世の知恵を鞄につめてやって来た生まれついての善人なのだ。一つの転生でも大きく進歩できるとはいえ、一夜のうちに海賊から聖人に変わるように求めるのは無理だろう。
子供が一日で話せるようにならなくても、言葉は何年もかけて習得していくものだとわかっていて絶望しないでいられるのなら、幼い魂が愛せるようになるのに霊的に何年かかったとしても・・・何回も転生することだが・・・焦ってはいけないのだ。
それゆえ、感情についてもっと理解できている魂は、たった一度の人生で自分と同じレベルに達するように、自分以下の者に要求してはならない。自分も多くの転生と努力を要したからだ。だから、その人の能力と意志力の許容範囲で学べることで良しとすべきだ。かつては自分もそれと同じ程度で、傍らでは、もっと進んだ者たちが、利己的な態度を我慢してくれていたのだと思い出すべきなのだ。

そして、それを全部乗り越えるとどうなりますか?

最大の難関に立ち向かう。それでもまだ謙虚になることと執着を手放す必要があるのだ。つまり、感情を共有する際に寛容になるという、自負心の段階で乗り越えるべき目標が残っているのだ。
自負心のある魂は、平均的な魂と比較すると大変進化したもので、君たちの若い惑星では僅かだ。大半はより進化した他の惑星を故郷とする魂で、進化にかけてきた時間が長い。地球の平均的な魂よりも霊的な年齢では何千年も年上かもしれない。
彼らの惑星はもっと発展しているので、事実上不正も存在しないし感謝されないということもないので、自己の欠点を呼び覚ます厳しい状況に遭遇することがない。地球に来るのは、自分達の短所を表面化させるにはちょうどいい環境だからだ。地球は不正や忘恩に満ち溢れた惑星なので、これらの魂は自分の欠点と意志力を試そうとするのだ。こうしてより厳しい試練を通じて、より速い進化を成し遂げるのだ。
彼らは能力が高いので、あまり進化していない惑星への転生に際しては、他者を霊的に援助する使命を果たすように要請されることが多い。謙虚さに欠けて愛情の共有が困難である、という自己の欠点を克服するためには、他者を援助して鍛錬することが役に立つのだ。