「原子力発電所における秘密 日本の原発奴隷」 2003年のスペインの新聞に掲載された記事

今日、twitterで見つけた記事です。
奇しくも、東北大震災から丸5年2ヶ月の日に
目にしたというのは偶然ではないでしょう。

現実は厳しく辛いものだと痛感します。
私たちは、砂上の楼閣に暮らしていたことにもっと早く
気づくべきでした。
そうしていれば、福島原発の事故はなかったかもしれません。

たくさんの人々に犠牲を強いてきていたという事実から
目を逸らさず、では、どうするか、何をすべきかを考え
行動していくしかありません。


エル・ムンド[EL MUNDO:スペインの新聞 ]2003.6.8

調査報告/原子力発電所における秘密

日本の原発奴隷




 日本の企業は、原子力発電所の清掃のために生活困窮者を募っている。
多くが癌で亡くなっている。クロニカ〔本紙〕は、このとんでもないスキャ
ンダルの主人公達から話を聞いた。

DAVID JIMENEZ 東京特派員
 福島第一原発には、常に、もう失うものを何も持たない者達のための
仕事がある。松下さんが、東京公園で、住居としていた4つのダンボールの
間で眠っていた時、二人の男が彼に近づき、その仕事の話を持ちかけた。
特別な能力は何も必要なく、前回の工場労働者の仕事の倍額が支払われ、
48時間で戻って来られる。2日後、この破産した元重役と、他10名のホーム
レスは、首都から北へ200kmに位置する発電所に運ばれ、清掃人として登
録された。

  「何の清掃人だ?」誰かが尋ねた。監督が、特別な服を配り、円筒状の
巨大な鉄の部屋に彼らを連れて行った。30度から50度の間で変化する内部
の温度と、湿気のせいで、労働者達は、3分ごとに外へ息をしに出なければ
ならなかった。放射線測定器は最大値をはるかに超えていたため、故障して
いるに違いないと彼らは考えた。一人、また一人と、男達は顔を覆っていた
マスクを外した。「めがねのガラスが曇って、視界が悪かったんだ。時間内に
仕事を終えないと、支払いはされないことになっていた」。53歳の松下さんは
回想する。「仲間の一人が近づいてきて言ったんだ。俺達は原子炉の中にい
るって」。

  この福島原発訪問の3年後、東京の新宿公園のホームレスたちに対して、
黄ばんだ張り紙が、原子力発電所に行かないようにと警告を発している。
“仕事を受けるな。殺されるぞ”。彼らの多くにとっては、この警告は遅すぎる。
日本の原子力発電所における最も危険な仕事のために、下請け労働者、
ホームレス、非行少年、放浪者や貧困者を募ることは、30年以上もの間、
習慣的に行われてきた。そして、今日も続いている。慶応大学の物理学
教授、藤田祐幸氏の調査によると、この間、700人から1000人の下請け労
働者が亡くなり、さらに何千人もが癌にかかっている。

完全な秘密
 原発奴隷は、日本で最も良く守られている秘密の一つである。いくつかの
国内最大企業と、おそるべきマフィア、やくざが拘わる慣行について知る人
はほとんどいない。やくざは、電力会社のために労働者を探し、選抜し、契
約することを請負っている。「やくざが原発親方となるケースが相当数ありま
す。日当は約3万円が相場なのに、彼等がそのうちの2万円をピンハネして
いる。労働者は危険作業とピンハネの二重の差別に泣いている」と写真家
樋口健二氏は説明する。彼は、30年間、日本の下請け労働者を調査し、写
真で記録している。

 樋口氏と藤田教授は、下請け労働者が常に出入りする場所を何度も訪
れて回り、彼らに危険を警告し、彼らの問題を裁判所に持ち込むよう促して
いる。樋口氏はカメラによって―彼は当レポートの写真の撮影者である―、
藤田氏は、彼の放射能研究によって、日本政府、エネルギーの多国籍企
業、そして、人材募集網に挑んでいる。彼らの意図は、70年代に静かに始
まり、原発が、その操業のために、生活困窮者との契約に完全に依存する
に至るまで拡大した悪習にブレーキをかけることである。「日本は近代化の
進んだ、日の昇る場所です。しかし、この人々にとっては地獄であるとい
ことも、世界は知るべきなのです。」
と樋口氏は語る。

 日本は、第二次世界大戦後の廃墟の中から、世界で最も発達した先進
技術社会へと移るにあたって、20世紀で最も目覚しい変革をとげた。その
変化は、かなりの電力需要をもたらし、日本の国を、世界有数の原子力エ
ネルギー依存国に変えた。

  常に7万人以上が、全国9電力の発電所と52の原子炉で働いている。
発電所は、技術職には自社の従業員を雇用しているが、従業員の90%以
上が、社会で最も恵まれない層に属する、一時雇用の、知識を持たない
労働者である。下請け労働者は、最も危険な仕事のために別に分けられ
る。原子炉の清掃から、漏出が起きた時の汚染の除去、つまり、技術者が
決して近づかない、そこでの修理の仕事まで。


 嶋橋伸之さんは、1994年に亡くなるまでの8年近くの間、そのような仕事
に使われていた。その若者は横須賀の生まれで、高校を卒業して静岡浜岡
原発での仕事をもちかけられた。「何年もの間、私には何も見えておらず、
自分の息子がどこで働いているのか知りませんでした。今、あの子の死は
殺人であると分かっています」。彼の母、美智子さんはそう嘆く。

 嶋橋夫妻は、伸之さんを消耗させ、2年の間病床で衰弱させ、耐え難い
痛みの中で命を終えさせた、その血液と骨の癌の責任を、発電所に負わ
せるための労災認定の闘いに勝った、最初の家族である。彼は29歳で亡
くなった。

 原子力産業における初期の悪習の発覚後も、貧困者の募集が止むこと
はなかった。誰の代行か分からない男達が、頻繁に、東京、横浜などの
都市を巡って、働き口を提供して回る。そこに潜む危険を隠し、ホームレス
たちを騙している。発電所は、少なくとも、毎年5000人の一時雇用労働者を
必要としており、藤田教授は、少なくともその半分は下請け労働者であると
考える。

  最近まで、日本の街では生活困窮者は珍しかった。今日、彼らを見かけ
ないことはほとんどない。原発は余剰労働力を当てにしている。日本は、12
年間経済不況の中にあり、何千人もの給与所得者を路上に送り出し、一人
あたり所得において、世界3大富裕国の一つに位置付けたその経済的奇跡
のモデルを疑わしいものにしている。多くの失業者が、家族を養えない屈辱
に耐え兼ねて、毎年自ら命を絶つ3万人の一員となる。そうでない者はホー
ムレスとなり、公園をさまよい、自分を捨てた社会の輪との接触を失う。

“原発ジプシー”
 原発で働くことを受け入れた労働者たちは、原発ジプシーとして知られる
ようになる。その名は、原発から原発へと、病気になるまで、さらにひどい
場合、見捨てられて死ぬまで、仕事を求めて回る放浪生活を指している。
「貧困者の契約は、政府の黙認があるからこそ可能になります」。人権に
関する海外の賞の受賞者である樋口健二氏は嘆く。

 日本の当局は、一人の人間が一年に受けることが可能である放射線の
量を50mSvと定めている。大部分の国が定めている、5年間で100 mSvの
値を大きく超えている。理論上、原子力発電所を運営する会社は、最大値
の放射線を浴びるまでホームレスを雇用し、その後、「彼らの健康のために」
解雇し、ふたたび彼らを路上へ送り出す。現実は、その同じ労働者が、数日
後、もしくは数ヵ月後、偽名でふたたび契約されている。そういうわけで、約
10年間、雇用者の多くが、許容値の何百倍もの放射線にさらされている説
明がつくのである。

http://www.jca.apc.org/mihama/rosai/elmundo_fig1.jpg
長尾光明、78歳、
多発性骨髄腫に罹患。
東電・福島第一原発で
働いた自分の写真を
抱える/ 撮影:樋口健二

 長尾光明さんは、雇用先での仕事の際に撮られた写真をまだ持っている。写真では、彼は、常に着用するわけではなかった防護服を着ている。病気になる前、5年間働いた東電・福島第一原発で、汚染除去の作業を始める数分前にとった写真である。78歳、原発ジプシーの間で最も多い病気である骨の癌の克服に励んで5年を経た今、長尾さんは、原発を運営する会社と日本政府を訴えることに決めた。興味深いことに、彼は、契約されたホームレスの一人ではなく、監督として彼らを指揮する立場にあった。「大企業が拘わる仕事では、何も悪い事態が起こるはずはないと考えられてきました。しかし、これらの企業が、その威信を利用し、人々を騙し、人が毒される危険な仕事に人々を募っているのです」と長尾さんは痛烈に批判する。彼は、許容値を超える大量の放射線にさらされてきたため、歩行が困難となっている。

  30年以上の間、樋口健二氏は、何十人もの原発の犠牲者の話を聞き、
彼らの病を記録してきた。彼らの多くが瀕死の状態で、死ぬ前に病床で
衰弱していく様子を見てきた。おそらくそれ故、不幸な人々の苦しみを
間近で見てきたが故に、調査員となった写真家は、間接的にホームレスと
契約している多国籍企業の名を挙げることに労を感じないのだ。東京の
自宅の事務所に座り、紙を取り出し、書き始める。「パナソニック、日立、
東芝…」。

広島と長崎
 企業は、他の業者を通してホームレスと下請け契約をする。労働者の
生まれや健康状態などを追跡する義務を企業が負わずにすむシステムの
中で、それは行われている。日本で起こっている事態の最大の矛盾は、
原子力を誤って用いた結果について世界中で最も良く知っている社会の
中で、ほとんど何の抗議も受けずに、この悪習が生じているということ
である。
1945年8月6日、アメリカ合衆国は、その時まで無名であった
広島市に原子爆弾を投下し、一瞬にして5万人の命が失なわれた。
さらに15万人が、約5年間に、放射線が原因で亡くなった。
数日後、長崎への第二の爆弾投下により、ヒロシマが繰り返された。

 あの原子爆弾の影響と、原発の下請け労働者が浴びた放射線に基づいて、
ある研究が明らかにしたところによると、日本の原発に雇用された路上の
労働者1万人につき17人は、“100%”癌で亡くなる可能性がある。
さらに多くが、同じ運命をたどる“可能性が大いにあり”、さらに数百人が、
癌にかかる可能性がある。
70年代以来、30万人以上の一時雇用労働者が日本の原発に募られてきた
ことを考えると、藤田教授と樋口氏は同じ質問をせざるをえない。
「何人の犠牲者がこの間亡くなっただろうか。どれだけの人が、抗議も
できずに死に瀕しているだろうか。裕福な日本社会が消費するエネルギー
が、貧困者の犠牲に依存しているということが、いつまで許されるの
だろうか」。

 政府と企業は、誰も原発で働くことを義務付けてはおらず、また、どの雇
者も好きな時に立ち去ることができる、と確認することで、自己弁護をする。
日本の労働省の広報官は、ついに次のように言った。「人々を放射線にさら
す仕事があるが、電力供給を維持するには必要な仕事である」。


 ホームレスは、間違いなく、そのような仕事に就く覚悟ができている。
原子炉の掃除や、放射能漏れが起こった地域の汚染除去の仕事をすれば、
一日で、建築作業の日当の倍が支払われる。いずれにせよ、建築作業には、
彼らの働き口はめったにない。大部分が、新しい職のおかげで、社会に
復帰し、さらには家族のもとに帰ることを夢見る。一旦原発に入るとすぐ、
数日後には使い捨てられる運命にあることに気づくのである。

 多くの犠牲者の証言によると、通常、危険地帯には放射線測定器を持って
近づくが、測定器は常に監督によって操作されている。時には、大量の放射
線を浴びたことを知られ、他の労働者に替えられることを怖れて、ホーム
レス自身がその状況を隠すことがあっても不思議ではない。「放射線量が
高くても、働けなくなることを怖れて、誰も口を開かないよ」。
斉藤さんはそう話す。
彼は、「原発でいろんな仕事」をしたことを認める、東京、上野公園の
ホームレスの一人である。
http://www.jca.apc.org/mihama/rosai/elmundo_fig2.jpg
原子炉の内部。下請け労働者のグループが日本の原子炉内部で働く。彼らのうち何名かは原発奴隷である。彼らは、何らかの技術的知識が与えられることはなく、国際協定で認めら れた最大値の1万7000倍の放射線を浴びている/撮影:樋口健二
  原発で働く訓練と知識が
 欠如しているため、頻繁に
 事故が起きる。そのような
 事故は、従業員が適切な
 指導をうけていれば防げた
 であろう。「誰も気にして
 いないようです。彼らが選ば
 れたのは、もしある日仕事
 から戻らなくても、彼らのこ
 とを尋ねる人など誰もいな
 いからなのです。」と樋口氏
 は言う。一時雇用者が、原
 発の医療施設や近くの病院
 に病気を相談すれば、医者
 は組織的に、患者が浴びた
放射線量を隠し、“適性”の
保証つきで患者を再び仕事に送り出す。
絶望したホームレスたちは、昼はある原発で、夜は別の原発で働くように
なる。


 この2年間、ほとんど常に藤田、樋口両氏のおかげで、病人の中には
説明を求め始めた者達もいる。それは抗議ではないが、多くの者にとって
の選択肢である。村居国雄さんと梅田隆介さん、何度も契約した末重病に
かかった二人の原発奴隷は、雇用補助の会社を経営するヤクザのグループ
から、おそらく、殺すと脅されたために、それぞれの訴訟を取り下げざる
をえなかった。

毎日の輸血
 大内久さんは、1999年、日本に警告を放った放射線漏れが起きた時、東
海村原発の燃料処理施設にいた3人の労働者の一人である。その従業員
は、許容値の1万7000倍の放射線を浴びた。毎日輸血をし、皮膚移植を行
ったが、83日後に病院で亡くなった。

 労働省は、国内すべての施設について大規模な調査を行ったが、原発の
責任者はその24時間前に警告を受けており、多くの施設は不正を隠すこと
が可能であった。そうであっても、国内17の原発のうち、検査を通った
のはたったの2つであった。残りについては、最大25の違反が検出された。
その中には、労働者の知識不足、従業員を放射線にさらすことについての
管理体制の欠如、法定最低限の医師による検査の不履行なども含まれた。
その時からも、ホームレスの募集は続いている。

 松下さんと他10名のホームレスが連れて行かれた福島原発は、路上の労
働者と契約する組織的方法について、何度も告発されている。
慶応大学の
藤田祐幸教授は、1999年、原発の責任者が、原子炉の一つを覆っていた
シュラウドを交換するために、1000人を募集したことを確認している。
福島原発での経験から3年後、松下さんは、「さらに2、3の仕事」を
受けたことを認めている。
その代わり、彼に残っていた唯一のものを失った。健康である。
2、3ヶ月前から髪が抜け始めた。それから吐き気、それから、退廃的な
病気の兆候が現れ始めた。「ゆっくりした死が待っているそうだ。」と
彼は言う。

           * * * * *
 この新聞は、インタビューを受けられた樋口健二氏より提供された。
記事の訳内容の一部は、樋口氏によって訂正されている。
なお、原文では、写真は全てカラーで掲載。
訳責:美浜の会

【転載終了】


LAS EMPRESAS niponas reclutan indigentes para limpiar centrales 
atómicas. Muchos mueren de cáncer. CRONICA ha hablado con los 
protagonistas de este inconcebible escándalo


私は原発反対運動家ではありません。二○年間、原子力発電所の現場で働いていた者です。原発については賛成だとか、危険だとか、安全だとかいろんな論争がありますが、私は「原発とはこういうものですよ」と、ほとんどの人が知らない原発の中のお話をします。そして、最後まで読んでいただくと、原発がみなさんが思っていらっしゃるようなものではなく、毎日、被曝者を生み、大変な差別をつくっているものでもあることがよく分かると思います。


I Want You to Know What a Nuclear Power Plant Is
I’m not an anti-nuclear power plant activist.

I have worked in the nuclear power plants for twenty years. There 
have been various debates over them. Some are for these places, 
others against them. Some say that they are safe; others declare 
that they are dangerous. I shall tell you what a nuclear power plant 
actually is, which few people really know. After finishing this, you will 
understand that every day the nuclear power plants are poisoning 
people, as well as causing discrimination and injustice—contrary to 
what you may have been told so far.


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みんなに
桜と
お日さまと
水(大気)の
エネルギーを
プレゼント♪

お花の中の
小さな虹
見えますか?

合成じゃなくて
天然です♪


ついでに、facebookの投稿も。

前にも一度シェアしましたが、もう一度。
朝一で、元氣玉大作戦に投稿した写真です。
ちょっと拡大率を上げてみました。
それにしても、不思議な光です。
雨上がりでもなんでもないときに、お花の中に、
虹色の弧が出現するなんて。。。
お花が呼吸して発する水分なんでしょうかね。。。
 
命の奇跡は、いつも身の周りにあるってことを
教えてくれているような気がします。


同じ日にたった5分ほどの間に四つ葉のクローバーを
3つ、五つ葉を1つ見つけました。

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これも奇跡。。。
今、押し葉している最中です♪

11/5/2016
4.5


季節はずれだけれど(笑)
クリスマス・キャロルの奇跡
全ての人々に起こりますように



奇跡は
幸せの
青い鳥と
同じ

気づかないだけで
いつも
私たちの
周りに
存在している

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宇宙からの
笑顔が
奇跡が
光が
音が
愛が
私たちに
勇気を与えて
くれている


だから
私は
ひたすら
「愛のバクダン」
無差別空爆作戦
実施中~♪