無条件の愛

先日書いた「意識のパワー「慈悲の瞑想」」に加筆して
昨日、本宅ブログに記事を書きました。

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マザーテレサの話から「無条件の愛」のことを少し
書きましたけれど、これが、今、現在、私の中でぐるぐる
うにうに状態です(笑)

頭では分かっているけれど、実際のところ、どうやって
日常生活に落とし込んでいくのか、とまどっています。
まずは、子供たちを相手に実践したらいいのだろうとは
分かっているんですけれどね、難しいです。

無条件の愛というのは、条件をつけない愛のこと。
見返りを求めない愛のこと。

いい子だから、愛する、成績がいいから、愛するのでは
なくて、悪い子だろうと何だろうとどんな子でも愛するとは
どういうことなのか・・・、実感として分からないのです。

私、子供に対して、愛情がないわけではないんだけれど、異常に
情が薄いというか、たぶん、世間一般の「母親」が持つような
情愛がないのかも・・・、という気がしています。

私が子供のときにやってほしくないと感じていたことを
できるだけやらないように、心がけていたら、こんな風に
なってしまいました。

育児放棄しているのかも・・・とか、ふと思うときもある
くらいに、子供たちとは、距離があります。
赤ちゃんのときは、24時間べったりだったんですけど、
幼稚園、小学校へ行くようになって、私との共有の世界が
少しずつ減ってきて、今は、彼らは、お友達との世界を
中心に生きています。

それに対して、寂しい気持ちよりも、私がいなくても大丈夫、
この子達は、たくましく生きていくだろう、という安心感と
いうか安堵感の方が強いのです。

はっきり言って、うちの子たちは、好き勝手に生きてます。
自由に、好きなように、自分にも他人にも嘘をつかないで、
生きてほしい、ただそれだけなのです。

私は、子供たちを信じています。
だから、必要以上に助けないし、手も口も出さないように
しています。

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今日、ハートの贈り物、祝祭のブログで公開されていた記事に
追記があるというお知らせがあり、早速その部分を読んだのですが、
私は涙ボロボロでした。

なぜ泣いたのか、まだ癒されていないからなのか、癒されている
けれど、そのときのことを思い出して更なる浄化のために涙が
でたのか・・・、気になっています。

最初にアップされたときにも、なるほどーとは思ったのですが
涙が出たりはしませんでした。
追記された内容に、私の琴線に触れるものがあったようです。

2年前の夏の出会いであることに気づいて、素の私を取り戻した
思っていたけれど、まだ、何かクリアになっていないもの、または
ブロックされているものがあるのだろうか・・・とか。。。

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そしたら、次に目にしたのが、この記事。
リンク先で、全部読んで、また涙ボロボロ・・・。

さらに、こんな記事を目にするし、

これは、もう、「愛の法則」の転載記事を「魂の法則」のように
投稿したほうがいいってことかしら・・・なんて、思っていました。
本を読みながら、手で入力するので、理解が深まるのです。

先ほど読んだ、NUTANさんの限定公開記事の最後のほうに
「前を向き進んでいれば自ずと護られ、癒され、助けられてゆく」
と書いてあって、はっとしました・・・。

「魂の法則II~愛の法則」また読み返さないと。。。
特に「愛の法則から見た子どもとの関係」の部分。
というか、全部かな、やっぱり。。。
何度も何度も読んで、理解を深めていこう。
そして、実生活の中で、実践していこう。

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一番最初の部分だけ、コピペ。

「子どもたちを愛し、肉体的にも精神的にも傷つけないように気をつけることだ。絶対に彼らに、屈辱的な思いをさせてはならない。霊的な観点からは、幼児への虐待は、最も重い犯罪の一つであると忠告しておこう。
 子どもたちが自由でいられるようにしてあげなさい。思い思いの気持ちを表現でき、好きに遊べて、遊びながら学べるように。
 愛されて育てられる世代の子どもたちがいれば、君たちの世界は急速に変化するだろう。愛には世の中を変える力があるのだ。君たちには世界を変えられなくても、愛を知ることができた次の世代が変えてくれるだろう。

「君たちは、子どもであったことがないのかい? 彼らの身になって考えてごらん。君たちが子どもだった頃の、良いこと、悪いことを思い出してみるのだ。人からされて嫌だったことを思い出したら、それを繰り返さないようにして、良かったことは手本とすればよい。
 私は、肉体的な危害だけではなく、精神的な嫌がらせも問題としている。認める人はほとんどいないが、君たちの世界には、自分自身の子もさることながら、子どもたちを精神的にいじめる人たちが沢山いるのだ。
  彼らは、自分自身の問題にどっぷりと浸かったまま、子どもたちを傷つけていることに気づく感受性のかけらも持ち合わせていない。子どもは所詮子どもであ り、大人と同じようには物事が理解できないためにもっと鈍感であると考えて、何の配慮もせずに接して、自分たちのフラストレーションをぶつけている。
 しかしながら、それは全く違うのだ。子どもたちは、大人よりも肉体的・感情的に敏感で傷つきやすいので、できる限り丁寧に、愛情深く扱ってあげることに重点を置くべきである。子どもたちをそのまま丸ごと受け容れ、愛してあげなさい。
  条件付きで、子どもを愛してはならない。自分の子どもを愛さずに、自慢するためだけに利用する人がいる。その子が他の子と比べて何らかの能力に秀でている と、頭がいいと鼻を高くするが、能力がなければ過小評価をする。すると、子どもの自尊心に甚大な影響を及ぼしてしまう。自分の子どもを本当に愛する者は、 顔が可愛かろうとなかろうと、頭が良かろうが悪かろうが、積極的であろうがなかろうが、その子をあるがままに愛するものである。

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エゴ(我欲)を手放し、私自身も他者も赦し、
無条件の愛を自然に表現できるようになりたいなぁ~
って思います。

私と両親との関係から見直さなくてはいけない部分も
まだまだありそう。。。
過去生で終了しなかったから、今生に持ち越してきた
課題とちゃんと向き合ったのだろうか。
過去形でなく、現在進行形かも・・・(笑)
あっ、未来形もあるかも・・・(爆)

「愛の学び」は永遠に続きます。。。


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生きとし生けるものが
全て幸せでありますように・・・


17/05/2016
4.11

昨日は、2年前初めて森の家を訪問した日。


2/19追記
悪い子だろうと何だろうとどんな子でも愛するとは
どういうことなのか・・・、実感として分からないのです。」
と書きましたが、言葉足らずだったかも・・・。
言葉で説明するのが難しいのです。
というか、私の中では、全てが愛おしく愛すべきものなので
特に自分の子供だから、という分け隔てがないんですよね。
こういう感覚は、子供のころからで、家族だから特別という
度合いが、他の人よりも少ない感じがあるんです。
もちろん「私の子供、私の家族」は、他の人とは違って
私にとって、より身近で特別なんですけれど・・・。
まぁ、これって、人それぞれの感覚が違うため、言葉で
説明すればするほど、私の感覚から離れていくような気が
してしまいます。
ほんと、言葉で説明するのは難しいですね。

こういうイメージかな・・・、やっぱり。。。



そして

北風と太陽の太陽かな・・・。



こういう感じを私自身が自然に醸し出せるように
なったら、それでいいんだろうなぁ~とは思うの
ですけれど、難しいですよね。

意識してではなく、無意識に、自然に、ありのままで
そういう状態である、ということなんですから。。。
ハードル高いです(笑)

ハードルって、高いだけでなくて、長いというか
いくつもあるので、飛び越えても飛び越えても
なかなか終わらない・・・という感じです。


今までに書いた「愛」がタイトルに入った記事。

愛の道 2014/12/16
私は愛 2014/12/6
愛の讃歌 2013/10/26
愛の詩 2012/8/4

友愛(2010.6.25)
愛の木(2010.4.21)
愛の讃歌(2009.10.20)

*「魂の法則」の中の「愛の法則」についての転載記事は
たくさんあるので、省略しました。

 
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