罪とは・・・
自分を偽ること
自分を欺くこと
自分を損ねること
自分を苛めること
自分を苦しめること
自分を傷つけること
自分を悲しませること
自分を辛くさせること
自然を偽ること
自然を欺くこと
自然を損ねること
自然を苛めること
自然を苦しめること
自然を傷つけること
自然を悲しませること
自然を辛くさせること
自分というのは
自然の一部分だから
自分は自然で
自然は自分だから
29/11/2016
11.1
「罪」という字が、今の「つみ」という
意味で使われるようになったのは、
秦の時代からだそうです。
漢和辞典で漢字の起源をよく調べていた頃、
5,6年前でしょうか、理由は良く覚えていませんが
「罪」の字を調べたときに、成り立ちが書いてあり
知りました。
元々は、「辠」なのだそうです。
自分または自然の「自」が上で
自分または自然の「自」が上で
その下に、「辛」の字。
『「秦より罪を以って辠字と爲す」とある。
もともと罪は竹網の意味であり、
「つみ」の意味では辠を使っていたが、
秦で君主を皇帝と称するようになり、
皇・辠が似ているため罪を使うようになった。』
とあります。
ある意味これは民衆コントロールのため!?
という気がします。
というのも・・・
旧字の「辠」を「罪」と変えたことで、「つみ」の
本当の意味が隠されてしまったのですから。。。
「辠」が「つみ」の意味だったら、人々が文字通りに
解釈して、支配者が支配しにくくなってしまう恐れが
あるから。。。
なんて、妄想を激しくしてしまいます(笑)
自分を偽るから
自分の感情を無視するから
自然を損ねるから
自然の警告を無視するから
私たちは病気になってしまうんじゃ
ないかって思います。
罪を犯さない状態は「愛」
写真は、一番上以外は、今日の午前中に
サラマンカへ行った帰り道、アルベルカへ
向かう途中に撮ったものです。
遠くに小さく見えたペニャ・デ・フランシアが
どんどん近づいていく様子が分かります。
アルベルカは、ペニャ・デ・フランシアを
通り過ぎた向こう側にあるのです。
一番上の写真は、9月にペニャ・デ・フランシアに
登ったときに、出発のときアルベルカの村はずれから
撮ったものです。
サラマンカ側から見るのと、アルベルカ側から見るのでは
山の形が違うんです。。。
∞ ∞ ∞
全ての人々に起こりますように
祈りを込めて・・・。
祈りを込めて・・・。
第5弾「愛のバクダン」~美しい緑の地球へ
第4弾「愛のバクダン」~自然エネルギーへ
第3弾「愛のバクダン」~地球と共に・・・
第2弾「愛のバクダン」~憲法9条は日本製!!!
第1弾「愛のバクダン」~アインシュタインから娘への手紙の真偽
番外編
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「愛のバクダン」無差別投下中~♪
生きとし生けるものが
全て幸せでありますように・・・
こちらも9月20日の登山のときの写真。
一番上は、ペニャ・デ・フランシアの一部が
木に隠れてよく見えなかったので・・・。
視界がよくなったところで、撮ったもの。
<11月30日(11.2)追記>
はるさんの、「助け合い・・・」の記事に書いた
はるさんの、「助け合い・・・」の記事に書いた
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「辠」の字は、すごいですよね。
私も知ったとき、今までのもやもやが、すっきりしました。
頭で理解していたと思っていたたくさんの知識や情報が、
つながって、なるほどー、そういうことかーと思いました。
真実は、すごくシンプルなんだと思います。
この間から、「辠」の字のことを書こう、書こうと思って
いたのですが、なかなかまとまらなくて、昨日になって
しまいました。
サラマンカへ行った帰り道に、山の写真も撮れたし、
まっすぐの道がジェットコースターのように見えるところも
撮れたし、昨日のタイミングがジャストタイミングだった
みたいですね。
ただ単に情報として共有するか、何らかの言葉を添えるかで
迷っていたのもありますが、昨日、なぜか、急にどばーっと
言葉がやってきました。