メビウスの環
終わらない道
歩いても
歩いても
上っても
上っても
進んでも
進んでも
戻っても
戻っても
いつの間にか
同じ場所にいる
永遠に続く
メビウスの環
22/12/2016
11.24
永遠の繰り返しから
出る方法は一つ
自分で出ると決める
ことなんですけれど
メビウスの環の中に
いる人たちは
長い間、同じ場所を
うろうろしていることさえ
気づいていないかも。。。
なんだか、そういう気が
最近してきました。
井の中の蛙というか
かごの中の鳥というか
その中しか知らないから
その状態に満足していて
疑問さえ感じないのかも。。。
自由に外に出れること
空を飛べることさえ
忘れてしまっているのかも。。。
というか、
最初から知らないのかも。。。
<参考記事>
メビウス螺旋・・・ 2014/2/28
永遠の螺旋 2016/6/30
螺旋的シンクロ 2016/4/7
螺旋を描きながら・・・ 2014/7/10
螺旋・・・ 2013/11/9
螺旋と共に・・・(2012-11-3)
螺旋は続く・・・(2012-10-31)
螺旋の果て・・・(2012-10-26)
螺旋を登って・・・(2012-10-23)
思いは螺旋状・・・(2012-10-20)
時の螺旋(2012-7-26)螺旋は続く・・・(2012-10-31)
螺旋の果て・・・(2012-10-26)
螺旋を登って・・・(2012-10-23)
思いは螺旋状・・・(2012-10-20)
マリオネット・・・ 2013/8/18
すべて計画通り 2016/10/27
私たちは誰かが書いたシナリオの役を
ただ演じているだけなのかもしれない。。。
演じているといえば・・・(笑)
今日は、小学校のクリスマスお遊戯会でした。
場面緘黙の一番下も、劇の台詞を小さい声で
早口でしたが、なんとかやっていました。
今年の演目は、
「チャーリーとチョコレート工場」の劇と
6年生なのでクラスメートと交代で次の
演目の紹介もしていました。
去年の本当に何も聞こえなった声よりも
聞こえたので、上出来♪
∞ ∞ ∞
全ての人々に起こりますように
祈りを込めて・・・。
祈りを込めて・・・。
第5弾「愛のバクダン」~美しい緑の地球へ
第4弾「愛のバクダン」~自然エネルギーへ
第3弾「愛のバクダン」~地球と共に・・・
第2弾「愛のバクダン」~憲法9条は日本製!!!
第1弾「愛のバクダン」~アインシュタインから娘への手紙の真偽
番外編
第4弾「愛のバクダン」~自然エネルギーへ
第3弾「愛のバクダン」~地球と共に・・・
第2弾「愛のバクダン」~憲法9条は日本製!!!
第1弾「愛のバクダン」~アインシュタインから娘への手紙の真偽
番外編
「愛のバクダン」無差別投下中~♪
生きとし生けるものが
全て幸せでありますように・・・
昨日は冬至。
今日で学校が終わりで
明日から、冬休み。
今週末はクリスマス。
来週は新月。
来週末は大晦日と新年。
再来週は、レジェスマゴスの祝日。
新学期は、1月9日から。
∞ ∞ ∞
メビウスの環の中から出ることが
できない人というのは・・・。
魂(心)に正直でないってことじゃ
ないかな・・・。
霊的な直感に従ってみればいい。人は、心で感じた通りにする時には、どの道を選ぶべきか察している内面の声に従っているのだ。そして、当初の目的を果たしていくにつれて、もっと幸せになり、さらに自信がついて落ち着いて、人生での次の目標が明らかになってくる。
心の声に耳を貸さなければ、頭脳のみに導かれるが、頭脳は感情とは異なり、純粋に物質的な目的を追うように仕向けるので、人は虚無感を覚え、自分自身と折り合いがつかず、不満足で自信がなく、人生に意義を見出せなくなる。
具体的なケースで説明してくださいますか?
生まれる前にカップルになる合意があった二つの双子の魂が、今生で出会ったとしてみよう。双方の魂はお互いを認識し、両者に愛情が芽生えたとする。しかし、一方がひどくエゴに洗脳されていて、今生での決定を下す際に、そのエゴのままになったとしよう。
エゴは頭の中で、物的に不利になる状況を難癖をつけるために利用し、あらゆる方法で感情を無視させようとする。「いい相手じゃない、お金がない、学歴がない、社会層が違う、肉体的魅力がない、家族は反対するだろうし面倒はご免だ、遠くに住んでいる、これこれしかじかの人でなはない」などと。
こうして、本物の感情を味わって、真の幸福の一端を共に経験できる霊的に似た人と暮らす機会が現れたというのに、その機会を見送って、気持ちに反した選択をして、双子の魂との転生以前の約束を破ってしまう羽目になる。
エゴの言いなりになると、自分の気持ちに従わず、知的あるいは物的な期待に沿って相手を選ぶことだろう。こうして、肉体的にもっと魅力的な人やもっとちやほやしてくれる人、もっと経済力がある人など、別の人を優先し、表面的にはもっと刺激的な生活や安楽な生活を送るだろうが、感情的には虚しいに違いない。