家族、子育て、愛・・・

水井さんのブログのいくつかの記事書いたコメントを
シェアします。

家族に対する執着が(私に対して)どこにも
独占欲、執着にの記事に書いたコメント。

親子関係の修正
>親子というのは、魂の次元では、対等な存在で
あるということを理解していくことが大切

まさに!です。

毒親とかモンスターペアレントという言葉が巷に
出回るようになったのは、いつごろのことからか、
忘れましたが。。。

そこまで、いかなくても、多かれ少なかれ、親が
子供を所有物のように、コントロールすることは、
昔からあり、ほとんどの人が経験していると思います。

私も、父の上から目線の言葉にいつもカチンときてました。
父の場合は、まぁ、そんなものか、と思って、耐えて
ましたが、途中で家を出てしまった(要するに逃げた)
ので、学び足りなかったのか(笑)夫がそういうタイプの
人でした。
父親だったら、自立するという手段があり、そのように
して、逃げることもできましたが、夫の場合は、特に
子供がいると、そういうわけにもいかず、結局おかしい、
これは、いけない、違うと感じながらも、13年一緒にいました。
最終的には、亡くなってしまったので、私が逃げ出すこと
なく、解放されたのですが、、最後の数年は、本当にドロ沼
状態でした。
でも、不思議なことに、大変だったーとは思うのですが、
もう、細かいことについては、どうでも良くなってしまって
いるんです。

今は、子供相手に、毎日悪戦苦闘しています。
子育ては、自分育て、と言われますが、本当に、まさに
そうだな、と思います。
将来を担う子供たちなので、責任重大だなーって実感して
います。

私が親を含めて、他者からコントロールの意図を感じる
度に、窮屈な嫌な思いをしてきたので、子供たちには
できるだけ、自分で考え、行動するように、なんでも
かんでも言うとおりにしなさい的な命令をしないように
しているし、罰を与えて恐れさせたり、ご褒美で釣ったり
しないように育てましたが、社会というか学校システムに
適応できないという副作用が出てしまっています。

最小限の条件のみで、自由にのびのびさせすぎてしまって
しまったのが、今後にどう生かされるかどうか、まだまだ、
答えが出たわけではありませんが、ちょっと、失敗だった
かなー、やっぱり、もっと厳しくしなくてはいけないかなー
とか思って、心が揺れ動くことがあります。
ひろみ 2017-02-20 00:48:02

でも、親子関係が、おそらく、将来の人間関係にも影響を
与えると思われるので、できるだけ楽しみながら、修行を
続けたいと思っています。

今日、こんな記事を見つけました。

子を思うがあまり、あれやこれやと子どもにできそうも
いことの約束を無理やりさせてしまう。今回のように
結局、他の場所でやりたいことを謳歌していては、元も
子もない。。。

親や学校の先生の前ではいい子だからと安心していたら、
違うところでは、とんでもないことをやっている子どもも、
困りもんです。
大きくなってから、ひずみが出てしまう可能性もありますし。
子ども一人一人の個性があるし、親も個性があるし、それぞれ
の状況によって、千差万別、一つの正解があるわけじゃない
って分かってはいるけれど、ついつい、他の子どもと比べたり、
育児情報を試してみたくなるし、悩んでしまいます。
書いたコメント

愛のある教育
親として、私が絶対に子どもに伝えたいと思っていることは
誰かが言ったからやるではなくて、自分がやりたいからやる
こと、他の人をわざと傷つけたり、だまさないこと、なんです。

もちろん、基本的なしつけはしています。
完璧とは言えませんが。。。
勉強は、必要となれば、いつかはやる、それよりも自分を
大切にするように他者も大切にできる人になってほしい、
それが人間として一番大事なことなんじゃないかと、私自身が
思って生きてきたので、それを自分の子どもたちで試している
という感じなんです。

先日、すばらしいドキュメンタリー映画を見つけました。
日本、それも大阪の公立小学校を紹介していました。

予告編と初代校長先生のインタビュー音声しか聞いていません
が、本当にこんな小学校があったら、いいなーという、まさに
そんな小学校でした。

「みんなの学校」という映画なのですが、あまりに感動して、
ブログに動画のリンクなどまとめて書いちゃいました。

子どもは、家庭はもちろん、学校、地域で一丸となって、
将来を担う人材を育てるというのが理想的なんですよね。

みんなが、できることをできるときにやる、学校は教師ため
ではなく、子どもたちそして地域のためにある、一人も学校に
来るのが楽しくない子どもを出さない、などなど、校長先生の
インタビューの中には愛に溢れる言葉がちりばめられていました。

大空小学校だから、できるじゃなくて、これは、どこの学校
でもできることなのでしょう。
実際初代校長先生もおっしゃっていました。
すごいわねーで終わるのではなく、やればいいんです、って。
単にやる気の問題ですって。。

厳しい言葉ですが、真実だと思います。

地域の人々が巻き込んで、みんなで子育て、みんなの学校
って未来が楽しみになります。
ひろみ 2017-02-25 01:59:53

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書いたコメント

ありがとうございます。
記事にしてくださって、ありがとうございます。

この後、「世界仰天ニュース」で「場面緘黙」を子供の
ころから抱え、今は克服されている女性が取り上げられて
いました。

何度も書いていますが、私の一番下の息子が場面緘黙で、
登校拒否気味になっていますので、どのように紹介されて
いるのか、気になっていましたので、動画を探しました。

場面緘黙症の女の子のエピソードは、27分40秒くらいから

のどが締め付けられる感じがして、声がでない、って
言ってました。
今日、知り合いのブログの中で、違う件についてなのです
が、近いことが書いてありました。

「一人キネシオロジーテストで、体の変化に最初にはっきり
わかったのは、有名な宗教家の池田某氏の本でした。
気が喉に上がってくるくらい、苦しくなって咳き込んだと
いいます。同じことは、多くの教祖本や、ポストに入っている
新興宗教の小冊子で経験しました。逆のことは、老子道徳経を
持ったときに、初めて気が丹田に降りる経験をしたとも
言っていました。」

脳の扁桃体や筋肉である体の細胞が、敏感であるという
ことは、本当は、生物として正しい反応なのだと思います。
場面緘黙の症状を持つ人たちは、現代社会という生命現象に
対して反している社会に対して、敏感に、反応しているだけ
なんだな、と再認識です。

適応しないと生きていけない、と中に入り込もうとして、
苦しみ続けるか、適当にあわせるけれど、自分らしく心地
よく生きることを選ぶか、とういうことなんじゃないかな、
って思うんです。

これは、「魂の法則」的には、エゴまみれで生きるか、
感情を重視して生きるか、ってことなのかな・・・と。

別の言い方をしたら、人間社会を至上のものとして
自然界と人間界を別のものとして破壊しながら生きるか、
自然界の中の人間界ということで自然と調和して共存共栄を
目指して生きるか、ってことなのかな。。。と。
ひろみ 2017-03-04 23:32:01

学校という場自体が、エネルギー与え、命を育むという
よりは、エネルギーバンパイアー状態なのかもしれませんね。
だから、学校よりも高いエネルギーを持っている子供に
とっては、エネルギーを奪われる感じがして、苦しくなり、
体の細胞が反応して、声が出なくなり、場面暗黙という形で
現れているのかもしれません。

大空小学校の存在は、従来の学校とは違い、エネルギー
バンパイアー的ではなく、エネルギーを与え、子供たちを
育むエネルギーに満ちていいて、未来に希望の光を見せて
くれているな、と感じます。
このような学校にするため、努力された初代校長先生を
はじめ教職員の皆さん、ご父兄の方々、周辺の住民の
皆さんの協力体制が、これからもずっと続きますことを
願って止みません。
ひろみ 2017-03-04 23:36:26


転載は以上です。

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先日書いた「医療と教育・・・」とも関連しています。
昨年5月半ばから始まった、一番下の登校拒否が今の私の
毎日の課題みたいなものです。
毎朝、起きれるのかどうか、痛いとか言うのかどうか、学校へ
行くのかどうか・・・とやきもきしてます。
結局、私自身も、子供は学校へ行かなければいけない、という
常識の中で生きて、一番下を無理やりにでも学校へ行かせようと
していたんです。

そのことに7日(火)に気づいて、水曜日から、一応朝だよ、
起きようね、と何度か一番上や真ん中と同じように声をかける
けれど、自分から起きたら行くだろうし、起きれないなら、
仕方ない、という感じで、無理やり行かせようとするのをやめ
たんです。

水曜日は休みましたが、木曜日は行きました。
でも、金曜日は、またお休みでした。
図工の作業が途中だから午後に来てと言われて、一緒に行った
のですが、教室に入った瞬間、動きがぎこちなくなって、私が
知っている一番下じゃなくなってました。

スペインでは、授業参観がないため、教室内でどういう様子か
今まで全く知らなかったんです。
1年半前、私の両親がアルベルカに滞在したときに、ちょっと
だけ、授業の様子を見に行ったときに、声を出さないし、あれ、
とは思ったんですけど、ほんの5分ほどのことだったので、まぁ
祖父母と母親が見に来て、びっくりしたんだろうくらいに考えて
いました。
その半年後くらいに、登校拒否が始まって、あの時のぎこちない
動きが、場面緘黙・緘動だったんだ、と、氷解しました。


12/3/2017
2.15

7日にスサーナが亡くなったと、イサベルからメッセージ。
1月の終わりにティトから、スサーナの容態が良くない、あと
数日かもしれない、マドリッドにいると連絡がありました。
結局数日ではなく、1ヶ月半くらい。。。
とはいえ、私と同じ年の方が、私と同じ乳がんで亡くなるのは
やはり動揺します。。。
11日が村でお葬式と遺灰の埋葬でした。。

8日は、国際女性デーということで、隣村のエルギフエラで
フアナに頼まれて、乳酸菌のお話会。
一番下が休みだったけれど、予定通り行きました。
出かけている間に、「学校のどこが嫌いなのか、先生やお友達の
どこが嫌なのか」など書きなさいとノートを渡したら・・・。
「何も思い浮かばない」と書いて、となりに、頭の断面図。
脳と延髄も書いてあり、湯気が立っていました。
本人曰く、いっぱい考えたら、頭が焼けちゃった・・・と
いうことです。

そして、3月11日。。。



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久々の朝の森のお散歩で、日の出を見ました。

2011年のあの日の日の出は、信じられないほど
美しいものでした。