~被災~

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~Sufrimiento de Desastre~

芦屋のお店は、本社が大阪にあったので、責任者の
人から、連絡があり、火災は出てなくてお店が無事だけど、
電車が通っていなければ、仕事に行けないから、当分
休業ということで、お休みでした。

大阪の企画・デザイン会社は、社長の家が東灘で
電車が動いていないので、出社できないだろうから、
私は、翌日から、電話番のために、朝から夕方まで
会社に出ていました。

それにしても、記憶が無いのですが、社長さんとどうやって
連絡を取ったんでしょう・・・?
携帯電話が通じたんでしょうか?
それとも、社長さんから私の家または会社に電話がかかって
きたのだろうか・・・?

数日は、取引先から問い合わせの電話がどんどん
かかってきて、みんな口を揃えて聞くのは、頼んだ仕事
予定通りにできるのかどうかの確認・・・。

社長の家が東灘で地震で全壊したけれど、家族共々
無事だったことを伝えても、あぁ、そう、よかったね、
くらいの、軽い反応で、大阪と神戸の温度差をすごく
感じました。
たった、15分くらい電車に乗っていける地域が大変な
状況なのに・・・。
確かに私も、普通を装って仕事をしていましたが、心の
中は、ぐちゃぐちゃでした。

駆けつけたい、でも、どうやって?
そして、行ったところで、何ができるのか?

両親は、旅行先から帰ってきて、私は事前に、FAXで
関西空港から私の家に一旦寄って、家に帰る方法を
考えましょう、と伝えていたのですが、私の言葉を無視
して、関西空港から、タクシーで、強行突破しました。
父の無謀さに驚くと共に、神戸方面へ、と言われて、
乗車拒否をせずに乗せてくれたタクシーの運転手さんが
いたことに、驚きです。

途中の道では、いろいろ見たそうです。
あまりにも悲惨なので、多くは語ってくれないのですが・・・。
家に帰ったら、和ダンスの2段めと3段めが、ちょうど父と母が
いつも寝ている場所にぼん、ぼん、と落ちていたそうです。
もしも寝ていたら、きっと重症、下手したら、死亡していたかも
しれません・・・。

食器棚、本棚は全部開いて、倒れ、中のものが全て出ていて
足の踏み場も無い状態だったそうです。

私とFくんが、様子を見に行ったのは、地震の2週間後の週末。
その時には、途中の道もかなり綺麗になっていて、私の実家も
ほぼ片付いていたので、私は、被災地の一番ひどい状態を
見ることはありませんでした。。。


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