毘沙門天謙信さんへのメッセージ

毘沙門天謙信さんへ送った、メッセージをこちらに転載します。
あちらのブログに、私が書いた記事のリンクをたくさん書くのは
なんとなく、気が引けたので、メッセージにしましたが、別に
内緒にしなくてはいけない内容ではなく、私自身の今までの
探求の流れを書いたものなので、私のブログで公開するので
あれば、いいのでは・・・と思ったので・・・。

このメッセージを書くきっかけになった、記事は、こちらです。
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おはようございます。

コメントに書こうと思ったのですが、私が過去に書いた
記事のリンクばかり書くことになるので、とりあえず、
メッセージでお伝えすることにします。

コメントでは書きましたが、アナトリア(トルコ)の
大地母神、キュベレー(シベーレス)に興味があり、
ブログにスペイン語のwikiを日本語訳したものを書いた
のが、私が豊穣の女神の探求の最初なんじゃないかと思います。
たしか3年前の1月のことです。
それまで、神様関係は、あまり立ち入りたくなくて、避けていた
のですが、それ以来、2年近くいろいろ調べまわっていました。

「シベーレスについて(2010.1.5)」

4ヶ月後、イタリア、ローマでの蜂の出現のニュースを見て
「蜂と地母神(2010.5.27)」
*この記事以降、「真琴の豊穣の女神」探しが始まりました。。。

特に記事としては書きませんでしたが、ずっと考えていた
ことをまとめたのが・・・

「太陽の女神(2010.11.03)」

「太陽の女神」の記事にコメントを書いてくれた人が、
『豊穣の女神を調べるなら、月の女神を調べたほうがいい』、
と教えてくれました。
事情があって、それ以降、神様のことを調べたりすることは
ほとんどなかったのですが、気にはなっていたので、いつか
調べたいなぁ~って思っていました。

これ以降は、たまに、気になる事象があったときに考える
くらいで、基本的には真琴の豊穣の女神を探しは、ほとんど
やっていません。
というか、「女神」と名前のある存在というよりも、
地球自身または自然の中に名も知れず存在しているのでは
ないか、と感じています。

「光と水と、生きる・・・(2011-02-18)」

これを書いて1ヶ月も経たないうちに、東北大震災が
起こるなんて、夢にも思っていなかったし、本当に
びっくりしました。

去年、カーニバルのときに、気づいたのでこんな記事を
書きました。

「カーニバル♪とサトゥルノス(2012-2-19)」

「太古の大地の父母神(2012-2-21)」


「真琴の豊穣」は、「豊饒」のことではないか、と気づいた
のは、去年です。
ある人のブログ記事がきっかけでした。。。

「11月22日(2012-11-22)」

「豊饒・・・」(別ブログに書いた詩のようなもの)


そして、今まで感じてきたことの集大成みたいなものを、
先日の東北大震災の3周年の前日に書きました。
「「地球意識」からのメッセージ・(2013-03-11)」


こんなに、自分が書いた記事のリンクを貼り付けて、
何が言いたいのかが、私自身分からないのですが・・・。

毘沙門天さんにお会いしたきっかけが、ミトラ教関連の
記事で、私自身が、今スペインに住んでいて、地中海世界の
東洋的な部分を感じていて、その起源が、アナトリア、
メソポタミアまたはペルシャあたりにあるのでは、ないか、
そこから東と西に広がったから、表面的には違うけれど、
無意識の世界まで深く掘り下げれば、実は同じになるのでは
ないか、って思っているので、なぜか、毘沙門天さんには
お伝えしたほうがいんじゃないか、って気がしたのかも
しれません。。。

ムー、レムリアの叡智が、まず日本に伝わり、その後、
大陸に渡って西に進んだ人たちが、メソポタミア文明を
興したんじゃないか、そして、東に戻るグループと西に
さらに進むグループがいたんじゃないか、って個人的には
妄想しています。

すみません。
朝一から長々と書きまして。。。

では、また。。。
ひろみ

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改めて、読み返してみると、とても、独りよがりなメッセージですが・・・(笑)

これに書き忘れたのが、キュベレー(シベーレス)の元型の女神のことです。。。
トルコのチャタル・フユック遺跡で発掘された、地母神といわれている像。。。

私は、縄文のビーナスとの関連を感じてしまうのです。。。

チャラル・フユックの遺跡は世界最古の都市遺跡とも言われています。
紀元前7500年ごろにさかのぼるのだそうです。。。

縄文時代は、1万年以上続いた、と聞いたことがありますが、集落程度で
チャタル・フユックのように都市が形成されていた訳ではないので、規模が
違うのでしょうね。。。
でも、私は、チャタル・フユックの女神像を見ると、縄文っぽいなぁ、と感じて
しまうんです。。。