魂は与えたものと全く同じものを受け取る~「霊的裁きの法則」①

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「霊的裁きの法則」または、「霊的な作用反作用(原因-結果)の法則」
(P144~)

無神論者は、「神が実在するのだったら、この世の多くの理不尽を許す筈などない」と声高に主張していますが、これをどう思われますか?

そのような意見の者は、人の命が肉体の誕生と共に始まるという信念を持つために霊的な真相を完全に理解できず、それで、地上の一部の劇的な状況を理不尽と解釈してしまうのだと思う。
人間の生が誕生をもって始まると見なせば、神が初めから一部の者だけを優遇してその他を冷遇しているように見えるので、この世は不平等で、創造主がいてもやはり不公平なのだから、という避けがたい結論に行き着いてしまう。
生まれたときから先天的な病気や極貧、歓迎されない家族の下に生まれるなど、災難が山積みの人生が見込まれる人がいる一方で、ずっと賢く美しく、深く愛され健康で、神のお気に入りに思える人がいないだろうか?
しかし我々が、今生は各人の生のほんの短いエピソードに過ぎず、今編は、今の魂の状況と内容的にきちんと噛み合うこれまでの連載ものの続編で、ふさわしい結末であると考えられれば、以前は理解できずに不公平に思えた事柄を、次第に理解し始めるであろう。

実にすべての魂は、同じ起源から生じている。魂という存在はすべて、無知で無自覚な生命の素として等しく創造されたが、無数の転生経験を総合して、愛と叡智の最高次元に達するまで、絶え間なく永久に進化する可能性を宿している。
ある魂と他の魂との唯一の違いは、創造された時期、つまり魂の年齢による。魂の生命の創造過程は、やむことがないからだ。
あるものは、君たちの銀河系がまだ星雲になる以前の何十億年前に冒険を開始し、物質界への数え切れない転生の歴史があるが、他のものはまだ進化を始めたばかりの、いわば若い魂だ。
各々の行為と決断により、進化の過程はまっすぐにも、曲がりくねったものにもなるし、遅くなったり速くなったりもする。
ほんの稚(いとけな)い幼児期から愛と理解の偉大な能力を持ち、年齢に不釣合いなほど精神的にとても成熟しているように思える人がいる一方で、肉体上では大人や老人なのにまだ振る舞いが幼稚で、見かけほど歳がいっていないように見える人がいることに、気づいたことはないだろうか?
ある魂と他の魂との霊的な力量の違いは一見先天的なものに見えるが、魂の年齢差とこれまでの転生を霊的進歩のために有効活用してこれれたかによる。
各人の今生の環境の違いは宿命の産物に見えるが、実は、これまでの前世や肉体に宿っていない期間に決断してきたことに起因するのだ。

現在の人生での行いが、過去のものとどう関係するのですか?

宇宙的な補足がある。それを「霊的裁きの法則」、「霊的な作用と反作用の法則」「原因と結果の法則」、などと呼べるが、その概要は、魂は与えたものと全く同じものを受け取る、というものだ。それは、我々が他者にすることは実際には我々自身にすることになる、ということに等しい。
各魂は自らが創り出した状況に立ち向かわなければならない、というのがこの法則の結論であり、それゆえ、魂が人生で直面する逆境の多くは、前世で自分が作り出した原因の帰結、またはその影響なのだ。

それがなぜ、宇宙的な法則なのですか?

なぜなら魂は、宇宙の諸法や万物の生命に反する自分の行為が招いた状況に向き合って、それを解決しない限り幸せになれないし、自己の霊的な進化においても前進できないからだ。
「自由意志の法則」において、好きな道を選んで適切な決断をする自由が魂に認められているのなら、「霊的裁きの法則」では、自分の行為の一つ一つがそれぞれの結果をもたらし、遅かれはやかれそれらが自分に影響することを知らねばならない。別の言い方をすると、「種は自由に蒔けるが、刈り取る責任がある」のだ。
つまり、行為の担い手として正当に思える行いなら、受け手としてもそう見えるべきで、その逆も然りだ。だが、もし自分がしたのと同じことをされたくないのなら、あまりいいことをしていなかったという訳だ。我々にとって善くないことは、他者にとっても善くないのだ。

イエスを含む多くの偉大な預言者が、「自分にして欲しいと思わないことは、他者にもしてはならない」「自分がして欲しいと思うことは、他者にもしなさい」と言っていたのを君たちは耳にしたことがあるだろう。
「作用と反作用の法則」を知ったからには、これらの金言に一文を付け加えて、「自分にして欲しいと思わないことは、他者にもしてはならない。なぜなら結局は自分自身にもしてしまうことになるのだから」「自分がして欲しいと思うことは、他者にもしなさい。なぜなら本当は自分自身にするのだから」とするべきだ。
「私たちが他者にすることは、私たち自身にもすることになる」という至言に、霊的裁きの原理が含有されている。

どうして、「霊的な作用と反作用の法則」と呼ぶのですか?

それは、ある意味でニュートンの第三の法則、つまり伝統的物理学の作用と反作用の法則に似ているからだ。
これに馴染みがない者に説明すると、この法則は、ある物体が他の物体に力をかけると、それ自体も同時に同じ大きさの力で押し戻される、ということだ。つまり、二人の宇宙飛行士が宇宙空間で手を繋いでいて、一方が他方を押したとしたら、その人も等しい力で逆方向に移動してしまうのだ。
銃や同種の武器で打ったことがある人なら、物理的な作用と反作用の法則をよく知っている。射撃というものが、銃に力をかけられた弾丸が物凄い速さで外に飛び出すものであるのは周知の事実だ。しかし実は、弾丸は同時に銃に、同じだけの力を反対方向にかけるのだ。
作用-反作用の法則が存在するがゆえのこの反力は大変大きく、銃器業界では「後退」として知られている。訓練できていない場合には、銃を支えていた部位が怪我してしまうこともある。

物理的な作用と反作用の法則に類似する「霊的な作用と反作用の法則」は、霊的な次元では、他者に行ったすべての行為は同じ規模で我々自身に戻される、と言っているのである。それは実生活において他者に行うことはすべて、実際には我々自身に行うことになる、という意味である。
各人がそれぞれの行為と向き合うことにあるというのがこの霊的裁きのきほんであり、自分の行為の結果を経験した後で、その行為を修正するか否か決めるのは本人次第なのだ。

他者に対する行為は、どのように霊的進化に反映されるのですか?

それらの行為が「愛の法則」に反するものなら、魂が進化の高い領域へと上昇するのを阻む錨のように重たいものとなる。反対に、「愛の法則」と調和した行為は、気球のバーナーの炎のように作用する。
炎は空気を熱すると、ガス粒子の振動レベルを増加させ、気球内部の空気濃度を希釈し、気球がもっと大気の薄い地帯まで上昇していくことを可能とする。
同様に、「愛の法則」に賛同する行為は魂の波動を高め、もっと高振動でさらに霊性が高いアストラル界域まで上昇することを可能とする。

<②に続く>

『魂の法則』ナチュラルスピリット刊
ヴィセント・ギリェム著・小坂真理訳






2017年10月13日追記
ボランティアで朗読し、Youtubeにアップしてくれた方が!
9分08秒までが、この記事の部分の朗読となります。