非人道的で許しがたいことは数多くあるが、それらは地球に転生した魂たちが生み出したもの~「霊的裁きの法則」⑤

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「霊的裁きの法則」または、「霊的な作用反作用(原因-結果)の法則」(P159~)

そうすることに、どのような意味があるのですか?自虐的に思えます!

魂は、苦しむのが楽しいからこの道を選ぶ訳ではないのだ。また、苦悩自体がまったく不毛なもので霊的に何も成長できないのだとしたら、それもやはり意味をなさない。
しかし、それによって、愛の学びにおける霊的な進歩ができる。そうして真の幸福へと近づけるので、自己記録を更新してゴールした長距離選手がレースを頑張って良かったと思えるように、悲痛な状況をうまく乗り越えられると、努力の甲斐があったと思うものなのだ。
このような選択は進化した魂特有のもので、後進の同胞を助けるために転生して導こうとする、愛ある行為だ。そして同時に、自分自身もさらに早い進歩を遂げようとする。なぜなら、後進の者の恩知らずな行為と不正の多くに耐えなければならないので、無条件の愛の能力が試されるいい機会となるからだ。

逆境は進化の役に立ち、その多くが過去の行為の結果であると言われても、前世のこととは切り離して、あまりにも不平等で非人道的な耐え難い---たとえば飢餓や貧困や戦争など---許せない物事があります。
それなのに、大変善良で能力が高いとされる存在たちは、人類のこの嘆かわしい未来を変えるために何もしてくれません。これにはどう返答されますか?

確かに非人道的で許しがたいことは数多くあるが、それらは地球に転生した魂たちが生み出したもので、それらを自覚して地表から撲滅する努力をするのは、その責任があり、そうすることができる人間自身でなくてはならない。
すでに述べた通り、霊的な進歩は、何の強制も強要もされずに本人の自由意志と努力で決断されて、それが内面に取り入れられた時にだけ起こる。これは、「自由意志の法則」という、霊的に進化した存在全てに尊重されている「魂の法則」だ。これが、神や他の高次の存在たちが、この世の不正を改善する姿が見られない理由である。

ある問題を解決しようと全能の存在がこの世に現れたとしても、その決断がすべての者の意向に沿う訳ではないので、それまで救世主を要請していた地上の者は、今度は自由が失われたと文句を言うであろう。
君たちの世界には、エゴを放棄する覚悟のある人も、自分のものだと思っている物を、それを持たない人びとと分かち合うことのできる人もほとんどいないので、どんな決定であったとしても、損をしたと思う不平分子は常にいることだろう。
だから人間には、物質界で思う存分に自由意志を使う経験をさせて、自分が招いた状況に対処させるのだ。苦しみはエゴのせいであり、エゴが人類の心に君臨し続ける限り、戦争も飢餓も貧困も不正もなくならない、という結論に独りで達しなくてはならない。
すべての災いを根絶する唯一の方法は、一人ひとりの心からエゴを一掃することだが、エゴの毒を解毒できるのは、愛だけなのだ。
腕組みをしながら救済者がやって来るのを、待っていてはいけない。行動するのだ。そうすれば助けが得られる。「愛の法則」を信奉する高次の魂は、いつでも君たちを陰から応援するために、そばにいるのだ。

しかし、君たちの意に反することはできないので、君たち自身の意志で、率先して行わなければならない。川に落ちてしまった者が助けを求めているにもかかわらず、本人が腕を動かしてなんとか泳ごうともせず、浮ぶ努力さえしていないのと同じことになるからだ。
自分の運命の流れを変えるのは君たち自身だ。決断すれば、その力が出る。そうではなく、間違いを犯す度に、父親が助けに来てくれたとしたら、一体どんな方法で進歩ができると言うのだ?学びのためには、自分の決断が及ぼした効果を味わう必要があり、自由に行動して、一方の道を探るか、別の道を選ぶかを決めなくてはならない。

霊性がさらに進化している世界では、高次の霊性というものを示すために、どうして人を送って来てくれないのですか?

そうしたいと思ってはいるだろうが、何度と繰り返しているように、君たちの自由意志に干渉できないのだ。
進化した物質界の人は、進歩の劣る世界との合意と同意がなければ、その世界の発展に、集団として干渉できない。そこで、軍隊を上陸させたりしない目立たない方法で、高次の人が地球に転生して手本を示すことで援助するのだ。そうすれば、その高度なテクノロジーの魔法に眩惑されることなく、感じ方や考え方の共似性によって、彼らの教えを取り入れてもらえるからだ。
テクノロジーで圧倒するケースなら「自由意志の法則」を尊重しない文明なので、国民はその高度な文明に依存してしまい、破壊的な結果がもたらされるだろう。自主努力の成果でないものは簡単に忘れられてしまうので、達成できたと思われた革新も、彼らが立ち去ればたちまち元の木阿弥となってしまう。

しかし君たちは、現在は肉体を持たないガイド役や霊界の親しい者たちから、精妙な方法で、常に支援を受けている。援助を受けるために、どのように霊界とコンタクトをしたらよいかは、もう充分話したろう。助けられるためには、助けが欲しいと願う必要があるのだ。なぜなら、孤独で世間からの孤立を願うものや、進化を望まないものには、その願いが尊重されるからだ。
愛における進化を、誰にも強制することはできない。自分の意志で進化しようと決意しなければ無駄であるし、おまけに、「自由意志の法則」に違反することになる。

もっと大きな災いを避けたり、平和や民主主義を守るために仕方がない、と戦争を正当化する人たちがいますが、これに関してはどう思われますか?

もし本当に平和や自由を愛するならば、自分が主張することと反対のことをしてはならないだろう。目的に対して手段が矛盾するのであれば、その人は嘘つきか偽善者なのだ。
手段は求める目的と合致しているべきで、目的によってその手段が正当化されることなどあり得ない。戦争によって平和は実現できないし、強制によって自由を得たり、不正によって正義を得ることも不可能だ。

でも、大部分の人びとは平和に暮らすことを望んでいるのに、一部の権力者たちが戦争を決めてしまうのではありませんか?

それなら、なぜ君たちが望むことと反対のことをする者に権力を渡すのかね?
君たちの世界の腹黒い支配者たちが、国民を戦争に召集したとしても、銃を取る者も他者に強要する者も誰一人おらず、武器を製造する者もいないとしたら、彼らがいかに邪悪であろうと、何もできないはずだ。
しかし、もしそれが可能だとするなら、それは君たちのエゴがそそのかされてしまうからだ。自分は他のものたちの殉教者だと納得させられてしまうから、羊は屠殺所に連れて行かれてしまうのだ。だからこれは、自分が同類の命を奪う権利があると信じて、他者も自分の命を奪っていいのだ、と納得させられてしまう者の問題なのだ。

<⑥に続く>

『魂の法則』ナチュラルスピリット刊
ヴィセント・ギリェム著・小坂真理訳








2017年10月13日追記
ボランティアで朗読し、Youtubeにアップしてくれた方が!
27分30秒から35分33秒までが、この記事の部分の朗読となります。