出来事自体はそれほど重要ではなく、その時の意図が重要~「霊的裁きの法則」⑥

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「霊的裁きの法則」または、「霊的な作用反作用(原因-結果)の法則」
(P163~)

もし誰かが襲われて、自己防衛で加害者を殺してしまったらどうですか?また、これは例えですが、子どもたちに危害を加える者がいて、加害者を殺さなければ子どもが守れない、としたらどうでしょう?

いいかね、霊的世界では、出来事自体はそれほど重要ではなく、その時の意図が重要なのだ。
殺されるのを回避しようとしただけで、相手を殺すつもりのなかった者を、最初から殺意を抱いていた者と、同じように裁くことはできない。その人は、大きな損害を与えることなく被害を避けようと、できる限り努めるだろうから。
しかし、戦争に行く人たちはこのケースではない。人が戦争に赴く時には、いつかは他の人間を殺したり、自分が死ぬ羽目になると、完全に自覚している。
神を信じる「愛の法則」の信奉者ならば、敵軍に転生した自分の兄弟を殺害に行くために、絶対に自ら進んで入隊などしない。殺人を正当化し得るほど高尚な理念や信仰は、何一つ存在しないからだ。

でも、多くの人びとが意に反して徴兵されて、前線に出向くように強要されていることも確かではありませんか。これについては、どうでしょう?

当事者の魂にとっては、崖っぷちの選択になるので、かなり大きな試練であろう。しかし、このような状況は偶然ではない、と知るべきである。このような試され方をされる者は、おそらく前世では、他者を同じような状況に誘導したのであろう。
これは、愛に賛同する自分の信念が試される、大変厳しい試練である。
殺して殺人者となり果てるか、敵軍に拷問されたり傷つけられるか、違反者や裏切り者のレッテルを貼られ「友達」だった自分の一味からは投獄されたり拷問され、さらには死刑にされるか、を選択しなければならない。これらの選択には情状酌量の余地があるが、死ぬか殺すかや戦争に行くように他者を強要したものの責任はもっと重く、重責だとされる。
君たちの世界では、命を危険にさらして敵軍の兵隊を殺した兵士は、勇者である。一方、一人の敵兵も殺さないで済むよう自分の命をさらしたものは、臆病者とされる。
しかしながら、霊的世界では、それが正反対となる。勇敢なのは、殺人に反対する平和主義者であり、造反者であり、裏切り者であり、兵役忌避者である。見知らぬ、おそらく別の信仰やイデオロギーを持つ者の命を守るために、死ぬまで自軍に迫害されることになるだろうと知りつつ自らの命を冒すので、勇者なのだ。他方、どちらかの軍に自分が一番初めに殺されることを怖れて、他者の命を奪おうと危険に身をさらす者は勇者からは程遠いのだ。
いずれの場合にせよ、どちらを選ぶかを決めるのは魂だ。兄弟の殺害を拒んだために、利己主義者に報復されて地上で一時的に苦しむが、霊界で報酬を授かるのか、それとも、戦争の英雄として地上で報われるが、兄弟を傷つけたために、後で霊界で苦しむのか。

それなら、ある国を侵略しようとする国や勢力があったら、攻撃や侵略を防ぐために、他の国々は何をするべきなのでしょう?そこが破壊されている間、腕組みをしてじっとしているのですか?
ナチスドイツのケースが思い浮かびましたが、ヨーロッパやアメリカは、ナチスがその軍事力で世界を征服するがままにさせておくべきだったのですか?

君たちが知り得る人類の歴史の知識は、過大に操作されたものだ。
多くの者が未だに、戦争には善い陣営がいると信じ、神が応援するのは常に自分が所属する方で、もう一方の陣営は悪魔に支援されているとする。しかし、敵対する側でも全く同じ意見で、自分たちこそが善人で神は彼らを支援しており、もう片方には悪魔に支援された悪人がいると思っている。
君が言及したような戦争は、一朝一夕にはでき上がらないのだ。実際には戦争というものは、武力抗争が始まるずっと以前から練り上げられるもので、嘆かわしいことに、将来的に敵対することになる二つの勢力はお互いに武装するためにあらかじめ協力し合い、それから破壊し合うために敵対する。
過激で暴力的なイデオロギーは、国民が道徳的にも経済的にもて退廃してしまうと台頭する。大規模な戦争は、国民が極度の貧困に陥るような、深刻な経済危機の後に起こってきた。
これらの経済危機は偶然に派生したのではなく、他者の不幸と苦悩の犠牲の上に私腹を肥やして、さらに大きな力を得ようとする経済的かつ政治的な大権を持つごく少数の一グループによって意図的に誘発されたものだ。
彼らは悪の根源は、人種、宗教、信仰、文化などの違いがある人たちなのだと吹聴するために、自分たちの広報メディアに極端な理念を流布させているのだ。しかし、もしそれができるのなら、君たちのエゴをそそのかすことに成功し、君たちがエゴによって、他者の中に兄弟を見出せなくなってしまうからだ。
真に愛を信じるものは、自分の兄弟---人類は誰でも兄弟なのだから---彼らを殺すために、絶対に戦争に行ったりしないだろう。
君たちには、子どもがいないのか?子どもたちに、戦争に耐え、傷ついたり殺されたり、飢えたり苦しんだりして欲しいのか?君たちの家や村や町が、破壊されたいのかい?もしそうでないのなら、それは相手側にとっても同じことで、戦争をすれば、望まない苦しみ、死、痛み、破壊を与えてしまう、と考えてみるのだ。敵側にも苦しむ子どもがいて、その子たちは貧困、飢餓、痛み、苦悩、破壊と死を患うのだ。
君たち自身の子どもに望まないことはすべて、他人の子どもにしてはならない、とはっきりと言っておこう。他者の子どもにすることは、実際には「霊的裁きの法則」によって、将来の君たちの子どもに対してすることになるだから。

お話によると、戦争の主な扇動者は少数で、残りは自分のエゴによって彼らに引きずられるままになるようですね。

そうだ。

それなら、戦争の主犯者たちは、苦悩と破壊を大勢の人々にもたらすので、霊的に莫大な借金を負いますね。

全くだ。反省して態度を改め始めてくれるかもしれないので、物質界の「権力者たち」が自身の借金をさらに増やしてしまう前に、言っておきたいことがある。
彼らは、侵略や戦争を企てて、躊躇せずに不和や憎しみを国民の間にばらまき、おまけに厚顔にもそれを、神や民主主義や自由やその他の高尚な名目の下に行って、それらの理念を汚しているのだ。
彼らは、血の凍るような種を蒔いているのであり、来世では、地雷をまく指示をした国に不具な子どもとして、あるいは飢え死にさせた国に腹ペコな子どもとして生まれ変わり、否応なくふんだんに苦い果実を取り入れなければならない、と知るべきだ。
物質界で権力があっても、霊界での地位は、お金や権力や影響力によるものではなく、どれだけ愛の能力を開発できたかだけで決まるので、現状は一時的なものに過ぎず、霊界でそれを維持することはできない。
この世の主だと思い込んでいた者たちが霊界に移動し、現実をありのままに見て、自分のせいで死んだり苦しんだりした者たちが、霊的には自分よりも上のレベルにいるのを見れば、なんという失望を味わうことだろう!国家元首は凱旋で礼遇されなどしない。その反対に、悪行の報復をしたがっている大勢の劣った者たちが待ち構えているのだ。自分が招いた苦しみの分だけ、苦しみを受けるのだ!

結果として、不具や貧困や飢餓、その他の困窮と辛苦を味わう羽目になった、武力抗争の犠牲者には何と言ってあげられますか?

物質的なものを喪失することや、肉体の命ですら失うことに執着してはならない。それらはすべて、仮初めなものだ。
君たちは不死で、誰にも君たちを殺すことができない、と思い出すのだ。君たちが本当の生である霊界に戻った時には、そんなことはどれもどうでもよくなる。そこでは、すべての苦しみが癒されて、すべての傷も治されるのだ。そして、愛のみが重要となる。
経験した災いのすべてが、同胞の苦悩に敏感になることに役立ち、同じ経験を二度と誰も繰り返さないようにと願えるようになれたのであれば、それは結果として、愛せるようになったということで、たとえ僅かであっても無駄ではなかったのだ。


2017年10月13日追記
ボランティアで朗読し、Youtubeにアップしてくれた方が!
35分33秒から最後までが、この記事の部分の朗読となります。