「愛の法則」から、エゴ的感情 好色と情欲

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「愛の法則」から、エゴ的感情 好色と情欲(p249~)

セックスへの依存は、見栄の顕われでもプライドの顕われでもある。
だが、人がセックスを常習するようになる原因は、それぞれの場合で異なる。そのため、虚栄心が強い者に特有の好色と、自尊心や自負心の強い者の特徴である情欲という、二つの表現形態に区別してみよう。
好色とは、セックスの喜びへ過度に傾倒することだ。虚栄心の強い者のセックスへの依存は、他者から認められたいという欲求と関係している。つまり、セックスを通して人から認められたり、称賛されたりちやほやされたりすることを期待しているのだ。彼らは、自分自身を満たす手段として性的快楽に溺れるが、他者の欲求を配慮することがほとんどない。しばしばセックスを利用して人を独占し、意のままにしたり、優位に立とうとする。
感覚が満たされ飽き飽きしてしまうと、性欲をメンタルに駆り立てる手段として新しい刺激を探す。それは、パートナーを頻繁に変えることであったり、サディズムとマゾヒズムなどの荒くした性様式に訴えたり、他の人たちをその意に反して乱交に巻き込んだりといったものだ。
一方、自尊心が強い人のセックスの常習は、愛せる人がいないことを受容できないとか、特定の人への愛情を抑圧したり認めようとしないなどの、愛の欠如や愛情の欲求に起因している。
つまり、自尊心の強い者が本当に必要としているのは、愛され愛することなのだが、自分の愛情の欲求を認識せずに抑圧していまうことが、安全弁のように、セックスへと逃避させてしまう。要は、愛の欠如をセックスで補っていることになる。そのために過度の性欲があるが、虚無感は、性的なものではなく感情的なものなので、性関係では満たすことができずに満足できない。
そこで、益々セックスを求めるようになる。そうすることで、この心の空洞を癒そうとするのだが、上手くいかずに、前述のような堕落した様式に至る場合もある。

情欲はどう克服するのですか?

情欲に関しては、セックスによって満たそうとしている内面の虚無感は愛の感情の欠如によるもので、愛の感情だけがそれを満たすことができると認めることが克服の唯一の方法だ。

好色はどう克服しますか?

それが虚栄心の反映したものだと認識して、それでは絶対に幸せになれないことに気づくことだ。
好色の大半のケースは、残念ながら若さや肉体美や権力などの衰えが顕われ、性的魅力を失ったり、体が精神的な性欲に応じられなくなった時に、自然に消滅する。肉体の衰えにより、自分の取り巻き連中は消え、それまでの人生の主要な刺激剤も失われる。
こうして人は、便宜上の虚しい関係を築きながら、無意味な人生を送ってしまったという、厳しい現実に直面する。肉体的な魅力だけで寄って来る人たちに囲まれていても、魅力が失われるや、皆、魔法のように消え失せてしまう。その人のエゴにもかかわらず、本当に愛してくれた何人かが残ってくれるかもしれないが、彼らには注意を払ったことなどほとんどなかった筈だ。
虚栄心を満足させるために使用した外見美という武器が失われてしまうと、真相にずっと近い新たな局面と対峙しなければならない。そこでは、人を惹き付けるためには、自分の内面から何か美しいものを引き出さねばならなくなる。こうして、便宜上の関係と気持ちの通う関係との違いを評価できるようになり、後者を尊重することを学ぶだろう。

でしたら、美しく魅力的な人たちだけが好色なのですか?

そうではないが、その多くが好色の深みに陥りやすい。
魅力がないその他の見栄っ張りな人たちは、そうしたいと思っても、欲しいものを手に入れる餌としては、肉体的な魅力を利用できないからだ。そういう場合は、虚栄心が羨望を引き起こし、自分が持たない美貌を獲得したいという叶え難い欲望にかられ、体重を落としたり、整形手術を何度も受けようとする考えに撮りつかれ、自分をより魅力的に見せようとする。
肉体的に魅力的なのに、完全な肉体を持とうとする執念に捉われてしまう人は多く、それは「ナルシシズム」または「肉体信仰」と呼ばれる虚栄心の具体的形態の一つである。

ナルシシズムまたは「肉体信仰」どういうものなのか、もう少し広く説明いただけますか?

それは、今言ったように、虚栄心の表現形態の一つであり、自己の肉体美が望み得る最大の価値を持つものとして際立つものだ。
自分の体で満足できずに「完全な肉体」を求めることは、強迫観念へと変わる。これは精神的な病気であり、食べることをやめたり、あらゆる種類の痩身サプリ、または強壮剤や興奮剤などを摂ったり、自分の命を危険にさらすことさえ省みず、さまざまな人工物をインプラントするといった、常軌を逸脱した行動を取る。
ナルシシズムに感化されてしまった人は、絶対に自分の体で納得しない。時間とエネルギー、意志とお金のすべてを、肉体の改善へと費やしてしまう。肉体自体が自分自身だと思いこんでいるのだが、実際には、物質界で動くために使用する衣服にすぎない。
いつかは理想的な肉体を手にして幸せになれるだろう、という偽りの幻想を抱いている。そして幻想を利用して設けている、エステ産業や化粧品業界や消費主義によって、その信念が益々強まっていく。だが、その幻想はエゴが仕掛けた罠に過ぎず、それでは幸福にはなれない。幸福は愛を育むことでしか獲得できないからだ。そのため、不満はどんどん膨張する。
そして、体内時計が老年へと向かって情け容赦なく進んで行くにつれて、あれほど一生懸命に得た成果が老化という自然現象に台なしにされていくように思える。人生はこうして過ぎていき、かつては美しかった肉体を完全に去る時が来て、非常にも自然の腐敗プロセスが宣告される。
魂は霊界に戻ると、いまや墓の中で朽ちた、真の自分とはいえなかった肉体を美しくしようと無駄に時間と努力を費やしたことに気づき、魂という永続する本当の自分を改善することにはほとんど努力しなかったことに気づく。
しかし、手遅れなどない。魂の命は存続するので、再び生まれ変わって、着ている肉体を自分だと思いこんで無駄にしてしまった人生でやらなかったことを、もう一度やり直せるのだ。

こういう見方をすると、肉体美は魂の進化にとっては障害だと言ってもいいですね。

私の話から、美しさはそれ自体がネガティブな特性だと思わないで欲しい。その反対に、魂が進化していくにつれて内面の美に呼応して、魂が宿る肉体は、より完全により美しくなるのだ。そして実際に、君たちよりも霊的に進化している物質界では、そうなっている。
しかし、進化の乏しい魂たちが支配する後進的な世界では、確かに諸刃の剣となる。虚栄心の段階から抜け出せない進化の乏しい魂にとっては、肉体的な魅力は虚栄心の奔放を許す武器となり、そのために使用される。気紛れ、下品、不躾、横柄に振る舞っても、自分の肉体美が欲しいものを与えてくれると知っているのだ。それは、称賛してくれる者やちやほやしてくれる人たちだ。目も眩む体の美しさで欲しいものが手に入るのなら、なぜ善い人になる努力をする必要があろうか?
こうしていつしか老年になり、自分の唯一の魅力を失い、独り取り残されて、自分のモラルの貧しさに失望する。美しく魅力的な外見を維持することばかりにかまけていて、内面を改善しようと努めたことが一度もなかったのだ。

ナルシシズムはどう克服しますか?

自分は肉体ではないので、肉体にそれほど煩わされるべきではないと認識することだ。人が幸せになるためには、自分自身を、つまり自分の内面を耕さねばならない。
肉体美という罠に陥った多くの魂がそのことを知っている。そのため、自分の体ばかりを眺めて人生をそれ以上浪費したくないので、すぐ後の転生ではありがたみの少ない肉体を選びがちだ。エゴを克服して人間として成長したいので、美しい肉体を持つことが誘惑の原因となるのであれば、現状では持たない方を選ぶのだ。

それでは自尊心の強い者は「肉体信仰」に陥らない、つまり、自分の体に不満を覚えたり、魅力的で美しくなりたい、と熱烈に願いはしないのですか?

もちろん願いはするが、見栄っ張りな者とは違う理由でそうするのだ。
自尊心のある者は、称賛の的となるよりも、愛されることを求めているのだが、もっと美しくなればもっと愛してもらえる、と間違って信じこんでしまうのだ。
自尊心が強い者がハンサムな場合は、周りの人たちは自分を好きでそばにいてくれるのではなくて肉体やその他の魅力に惹かれているだけなので、飽きられたりもっと素敵な人が現れれば邯鄲に捨てられてしまう、と気づいてしまうと失望する。

僕たちは、本当は魂であって肉体ではないのに、どういて自分の魂を意識せず、身体ばかりを自分と同一視するのでしょう?

それが君たちの世界が教えていることだからだ。魂は存在せず、人とはその体であると教えている。君たちの快楽主義の世の中では、評価される資質とは物的なもの(肉体美・富・権力)で、内的な資質(感受性・慈悲深さ・謙虚さ・慎み深さ)は軽視されている。
霊界では、それと全く逆だ。すべての霊的な資質が評価される。中でも謙虚さは最も評価される資質の一つだが、外的な資質は魂固有のものではないので、何の価値もない。外的な資質は、劇の作品が変われば俳優の衣装替えがされるように、ある人生から他の人生で変化するので、状況的な付随物だと考えられている。人は、今生では外見的に美しくても、次の転生では醜いかもしれないし、今回は金持ちでも、次回は貧しいかもしれないのだ。
魂は、肉体から離れている間は、その違いが明確にわかっていて、霊性の改善のためにこの世にやって来ると知っている。しかし肉体に宿ると、身体との一体感や過去の忘却や、転生先の文化の影響などで、霊的に改善する目的意識の低い魂は、自分を完全に肉体と同一視してしまう。そして、魂が顕現するということには、個人的に経験したことも他者の経験も、頭から否定してしまう。

魂の顕現とは何を意味するのですか?

魂の存在とその能力を示すすべてのものだ。それらはたとえば、肉体を持たない存在たちとの交信、幽体離脱、自他の気持ちを直感すること、五感以外での超感知などだ。このような体験をした多くの人が、頭がおかしいと見なされている。だから、自分の霊感に自信のあるかなり進歩した魂でなければ、自分が気が狂っていて精神療法が必要だと信じこむに至るだろう。