「愛の法則」から、エゴ的感情 怖れ①

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「愛の法則」から、エゴ的感情 怖れ①(p256~)

怖れとは、懸念や動揺や不安の感情であり、自分や自分の愛する者への危険や脅威を感知して生まれるが、危険自体は、現実的なものである場合と、想像上のものである場合がある。
怖れに脅かされている者は、自分に全く自身がなく無防備であると感じ、大事な決断では、感情または肉体を傷つける悪い結果になりはしないかといつも迷う。しかも怖れは怖れを呼ぶ。つまり、怖れは頭を過度に刺激して、現実の状況を空想上の脅威が現れる架空の状況に創り変えてしまう。しかも、それを本物だと信じてしまい、現実の脅威だけではなく、想像上の脅威によっても、自分の怖れを膨大させてしまうのだ。
怖れは心配も引き起こす。頭の中で、脅威となり得るあらゆる状況をあらかじめ想定して、そのすべてから無傷で逃れる方法を探そうとするからだ。
恐怖とパニックは、一過性な強烈な怖れの感覚で、非常にトラウマとなりやすい。
怖れは、自分があるがままに振る舞う妨げとなるので、霊的進化に最も有害な感情の一つである。進化する意志のある善意の魂でさえも、怖れを乗り越えられなければ、長期にわたって成長が滞ってしまうことがあり得る。

でも、すべての怖れが同じだとは思わないのですが。

もちろん違う。だが一般的に、怖れは魂を抑圧して気持ちに従って行動できなくさせ、感情を窒息させて完全に抑圧してしまうことさえある。そのために、停滞してしまう。

しかし、正確には何を怖れているのですか?

最も一般的な怖れは、自分に対する他者からの否定的な反応だ。これから派生する怖れとしては、愛してもらえない怖れ、理解してもらえない怖れ、拒否されたり軽蔑される怖れ、攻撃性(肉体的・精神的暴力)への怖れ、孤独になる怖れなどがある。
ところで、自分への他者の否定的反応が怖いと、その怖れが、あるがままの自分を表現する怖れをもっと増長させてしまう。そして、これに負けてしまうと、他者が望む自分らしくない振る舞いをしてしまう。他者とはこの場合、身近にいる人で、愛する人や家族(母親・父親・兄弟・伴侶など)のように、少なくとも愛情を期待できる人のことだが、全般には、どんな人間関係にも当てはまる。この怖れは、家族内外を問わず、子どもが肉体的または精神的な暴力や虐待の対象となった幼児期に由来することが多い。
前述のカテゴリーに入らない怖れとしては、未知なるものへの怖れ、死への怖れ、苦痛(肉体的または精神的)への怖れがある。
未知への恐れは、不安を呼ぶ。人は知らないものについて、多大な脅威や危険を想像してしまうものだ。実際のところ、死の恐怖というものは未知への怖れであり、死後に起こり得る未知なるものへの怖れであるか、無というもっと冷酷なものがやって来ることへの怖れである。
まだもう一つ別の怖れがある。人間にとっては最大の怖れで、他のものはそこから派生するので、特別に言及しておく必要がある。それは、自分自身を知ることへの怖れであり、自分の欠点や美徳も含めて、自分が本当はどういう人なのかを発見する怖れである。
我々は、我々自身の欠点を知るのが怖い。我々は、自分にエゴがあることや、自分の災いはほとんどがエゴのせいだということがなかなか納得できないために、欠点を認識すれば余計に苦しむに違いない、と誤って思いこんでいる。気づきは、エゴの一形態に過ぎない「自己愛」を苦しませはするが、幸せになろうとしてエゴからの解放を望んでいる魂を痛めることはしない。
エゴから解放されるためには、まず自分自身にエゴがあることを認めて、次にそれがどう表面化するのかを認識しないといけない。認めるのを怖れてはならない。エゴは全員に存在していて、それからの脱却のどの地点にいるかが違うだけだ。だが、自分自身を知ることを怖れて長期にわたってエゴを覆い隠してしまうと、我々は停滞してしまい、ずっと苦しむことになる。
同様に、我々は、愛情、感受性、謙虚さ、優しさ、同情、博愛など、自分の美徳や愛の表現を発見することを怖れる。実際にそうすることで、傷つけられたり利用されたりして苦しむのが怖いのだ。そしてそこから、自分に対する他者の否定的な反応への怖れが生まれる。
しかしそれにもかかわらず、この怖れに打ち克ち、自分自身になって、愛の深い自己を目覚めさせるために戦えば、内なる幸福が大変強くなるので、外部からのどんな苦痛や攻撃にも屈しなくなる。
死に対する恐怖も、自分自身を知る怖れから生じている。死が終わりで、意識である自分自身が抹殺されると信じているので怖いのだ。自分を深く見つめる怖れをなくせば、心の奥底で「死は存在しない!君は不死身だ!」と叫んでいる魂の声を聞くことができよう。その時に、存在しなくなることへの怖れ、つまり死の恐怖は消えるだろう。

怖れは、魂の進化に、具体的にどのように影響しますか?

すでに言ったが、怖れによる致命的な影響は、魂が自分をあるがままに表現するのをやめてしまい、気持ちに従って行動するのを抑制してしまうことだ。人は自分自身でいなければ、自由意志が囚われているので、霊的に成長できない。自由に決断できず、いつも恐れにさいなまされる。怖れに支配されてしまうのだ。そして、失敗すると思いこむので、霊性進化に有益となり得るどんな状況にも立ち向かおうとしない。
怖れとは、地球の権力者たちが人類を操り、霊的に停滞した状態に保つために利用する感情だ。彼らは、人間が取り組もうとする霊的な挑戦には、必ず架空の敵という脅威を創り出し、偽りの安全と引き換えに、挑戦をやめさせるのだ。
それは、彼ら自身も怖いからだ。人類に霊性や愛や同胞意識が目覚めて彼らの悪行が明るみになり、自分たちの犯罪が裁かれ有罪となり、特権や全財産が剥奪されたり、他の人間を騙し抑圧し搾取して獲得した権力を奪われるのが怖いのだ。

例を挙げて下さいますか?

たとえば、人類全体の同朋意識に賛同するすべての運動に対する怖れを作り出し、非常に有害な勢力を作りあげ、その純真さを利用して恐怖体制を敷く。全人類のための連帯と協力に基づいた、もっと公正な政治や経済のシステムを導入すれば、その後で混乱や無秩序、騒動や経済崩壊などが起こるだろうと脅かして、怖れを生み出す。彼らは、自由奔放となり、自由意志は厄介な考えをもたらし、自由な感情は悪臭や堕落や不道徳をもたらすと予告する。
地球の人類が、他の惑星にも愛に生きる人類がいることを発見して、それを見習ってしまうことを怖れている。そのため、地球外生命の証拠はどれを隠蔽し、他の世界の生物と接触することの危険性を映画を通して助長する。映画では、宇宙人は忌まわしい姿(昆虫、爬虫類、ウィルス)をしていて、体内に入りこんだり、人類を滅亡させる悪意を持っているのだと思わせようとする。
人が不死であることや、人生の目的は愛を深めながら霊的に向上することだと気づかれて、その努力を始められるのが怖い。そのため、死後の生の存在を示すものは一切否定し、物質主義の科学教養の中に逃げこむ。同時に、肉体の死後に起こることを追求したり、霊界と交信したりすることの恐ろしさを、映画を介して助長する。その中では、生きている人間の魂を支配して苦しめる幽霊や悪魔、血に飢えた吸血鬼やゾンビなどという恐怖の存在を創り出して、死後の命をどれもおぞましく描いているのである。
それに一役買っているのが、恐怖の産業(映画やテレビ)で、最も愚劣な脅威を映像に仕立て上げ、ほぼ全世界で見せることによってすべての人の脳にそれが浸透し、頭の中で現実に変わるように仕向けている。全映画の90%は、テロリスト、連続殺人犯、レイプ犯、麻薬密売人、宇宙からの侵略者、ゾンビ、様々な精神異常者といったあらゆる邪悪な存在に姿を借りた恐怖を、何らかの方法で波及させるのが目的だ。こうして、子どもや大人の想像力を過剰に刺激し、各人独自の怖れの上に、もっともっと沢山の怖れが外部から加わるようにする。

怖れはどう克服したらいいでしょう?

自覚と勇気を持つのだ。まず、自分が怖れているということ、何を怖れているかに気づくことだ。
深く分析して見れば、怖れの一部には根拠がなく現実的な脅威とは結びつかないことや、少なくとも思っていたほどではないことがわかるだろう。現実の脅威に根ざした怖れの場合には、それを生み出した状況や環境に勇気を持って立ち向かい、決断を下す際に、怖れに負けないようにすれば乗り越えられる。
「怖れがなく、完全に自由だとしたらこの気持ちをどうしたいと思うだろう」と自問してみなさい。答えが、選択されるべき正しい決断なのだ。試してみる価値はある。絶えず努力すべきなのだ。
怖れと対面し勇敢な決断をしていくにつれて、自分の内部が進歩するのを感じ、怖れは力を失い、代わりに自信と明晰さを得る。そしていつの日か、過去を振り返り「何であんなことが怖かったんだろう。今ならはっきりわかるぞ」と答えるようになるのだ。

自分自身を知る怖れを乗り越えることで、特に配慮すべきことがありますか?

自分自身を、美徳や欠点も含めて、あるがままに見るのは何も悪いことではない。自分をあるがままに受け容れなさい。
改善途上であることを認め、自分に嫌なところを発見しても落胆しないこと。自分の汚れたところに光を当てて欠点を認識することは、最初は苦痛を伴い不快かもしれないが、そうする価値はある。それが霊的な成長の道における最初の一歩になり、成長するにはエゴを排除することと同様に、感情を発達させることが不可欠であるからだ。
自分の感情を怖れず、それが現れたり表したりするのを怖れず、そうする時に嬉しく感じるのを怖れないことだ。悪い事を怖れるだけで沢山なのだから、その上良い事を怖れるのはやめとしよう。