愛の法則から見た子どもとの関係②

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「愛の法則から見た子どもとの関係」②(P128~)

より効果的でもないのに、規律正しい教育の方がいい、という親がいるのはなぜでしょうか?

いいかね、多くの場合、問題は子どもにあるのではなく、親にあるのだ。というのも、自分の子どもの気持ちも分からなければ、その子の愛情の必要性も理解できない親が沢山いるのだ。要は、感情に関して、全く無知なのだ。扶養し、病気の時に医者に連れて行き、物的な必要を満たし、学歴になる有名校で勉強させることができたら、親としてできることは全部したと思い込んでいる。だが、決定的な何かが欠けている。それは、自分の子の感情面に気を配ってあげる、ということだ。

自分自身の子供を煩わしく思い、一緒にいる時間をあまり作らずに、愛情も理解も示してあげない親が大勢いるのは、嘆かわしいことだ。そういう親は、子どもといるのがむしろ鬱陶しく、その子のやること成すことに我慢がならず、気にかけてやろうともしない。しかも、一部の親には、子どもの価値を学校の成績ではかる傾向が頻繁に見受けられる中には、子どもの成績が悪かったり、病気になった時にしか心配しない親もいる。

そうすると、あまり愛されていないと感じた子どもたちは、親の注意を引こうとする。成績が下がれば親が関心を持つことを知っていて、勉強をしなくなるという手段をとる子どももいる。それどころか、感情的に大変傷ついて、すべてに対して興味を失う子どももいる。

親は、子どもへの無知と関心のなさから、勉強に怠惰なのが問題なので、もっと強制的に勉強をさせる威圧的な先生のいる、規律を課す学校に行かせるべきだと思う。しかし、問題となるのは学校ではなく、親たちの関心のなさなのである。

大人になった時に自力で生活ができるように、子どもに勉強してほしいと望むことのどこが悪いのですか?

勉強してほしいと望むのは何も悪くないが、子どもを愛するかどうかがそれに左右されてはならない。
頭の良さや成績がいいことだけしか評価されなければ、子どもたちは自尊心の問題を抱える上に、勉強のストレスに押し潰される。あるがまま無条件に子どもたちを愛してあげて、幸せになれるように彼らの気持ちに配慮してあげるべきだ。

また、大人が子どもの自由や自発性を大いに制限する、無意味な規制に慣れさせようとすると、子どもたちはそのような規制を不当に思い、反抗する。子どもに遊びを禁止したり、ずっとじっとしているように命じるのは、馬鹿げている。そういう見当違いは、理論で納得させられないので、親は強要したり強制したりするのだ。

でしたら、その子自身や他の人たちに害が及ぶことでも、子どもたちに好き勝手をさせてあげるのがよいのでしょうか?

全部は駄目だ。常識的に考えてみなさい。
何事にもそれをすべき時期がある。子どもの自由度と責任は、成長して能力が高くなるにつれて、増やしていくべきであろう。いろいろな危険に気づいていない幼児には、見張りをつけずに、外で独りで遊ばせるわけにはいかない。安全を確認しないで道を横切るなどん、無分別な行動をとってしまうかもしれないからだ。

その子にとって、そして他の人にとって危険なことを段階を踏んで教えていかなければならない。他の子どもたちを大切にしてぶたにこと、侮辱しないこと、そして宿題をするとか遊んだ後におもちゃを片付けるなど、年齢に応じた責任を果たすことを教えないといけない。つまり、子どもの年相応以上でも以下でもないことなのだが、いつもその子の自由と感性を尊重して大事にしてあげて、理解を示し、愛情深く、また忍耐強く接することだ。

でも、限度はどこにあるのですか?たとえば、子どもが学校に行こうとしなかったり、宿題をしない場合は、強要すべきですか、それとも放任すべきですか?

常識を使ってほしいものだ。
力づくで強要してやらせるのではなく、子どもと対話し、学ぶことの大事さを教えて、やる気を起こさせるのだ。宿題を一緒にする時間を作って、楽しくとっつきやすいものにしてあげれば、力で押しつけるよりはずっといい反応を示してくれるだろう。

どうやって、必要なのに退屈で面倒なことを、子どもに学ばせることができますか?

それを面白いものにして、一緒にしてあげる。そうすれば、子どもは関心を持ってもらっていると感じるし、自分のしていることを手伝ってもらっていると思うので、続けていく気になる。子どもたちは遊んで楽しむものだが、ゲームを介せば、うんざりさせずに多くの物事を教えることができる。そうなれば、学習が楽しいものとなるので、自分から進んで勉強したいと思うようになる。

家庭内、家族においては、どのように教育するべきでしょうか?

子どもと一緒にいる時間を作ることだ。一緒に遊び、その子に関すること--問題や心配事など--について会話を持ちなさい。
子どもからの質問があれば、いつでも応じられるように心を開いていなさい。子どもたちは世の中を発見している最中なので、学ぶためには、何でも尋ねる必要があるのだ。君たちには明白なことかもしれないが、彼らにとってはそうではないので、馬鹿にされたと思えば萎縮してしまう。子どもに対しては、とてもとても辛抱強くあることだ。

また可能な限り、遊ばせてあげなさい。子どもにとって遊びは命であり、遊ばせてあげなけれあ大きな弊害を被る。彼らへの君たちの愛情を目に見える形で--言葉によってや、キスしたり撫でたり抱きしめてあげて--示してあげなさい。子ども自身の人格が自由に形成されるように見守り、自分たちがそうであってほしいと望む資質を押しつけてはならない。丸ごとあるがままに愛してあげて、子どもが少しずつエゴを削り取って、制約のない感受性と情緒を育くんでいけるように助けてあげるのだ。それから、子どもたちとは何の関係もない、大人である君たち自身の問題や心配事で彼らの生活に波風を立ててはならない。

ですが、子どもに対してあまりにも寛大だと、その子が要求の強い我がままになって、我を通そうとして、癇癪やヒステリーを起こすこともありますよね、そういう場合は、どうしたらいいですか?

確かに親の中には、怠慢であったり気が弱いため、あるいは子どもの文句を聞きたくないために、危険なことまで許してしまい、どんな気紛れでも満たしてしまう者がいる。すると、その子は要求が強い我がままになって、小賢しく親の意志を曲げようとする。

そういう時には、子どもの脅しに負けない、毅然とした態度が必要であるが、暴力的または攻撃的に応じてはならない。子どもが横暴に振舞う時ほど、その言い分を聞いてはならない。そういう態度をとると無視されて、要求したものが手に入らないとわかれば、じきに諦めるだろう。対話をして内省させ、自身のエゴ的な言動に気をつけるように、子どもを助けてあげなさい。

将来親となる人たちへのアドバイスがありますか?

子どもが愛してもらえること、生活のあらゆる面、特に感情面を気にかけてもらえることを確信して生まれてこれるように、愛をもって子どもを設けなさい。この世に生まれる子どもたちが愛と共に受胎するなら、世界の苦悩は著しく減少することだろう。

過去の時代と比較すれば、現在は事情が良くなっていると思いますよ。僕が言いたいのは、今の親たちの方が子どもの必要性を認識しているということですが、間違っていますか?

ある程度進歩したのは確かだ。過去の時代では、大半の子どもたちが、両親に知識と配慮がなかったために、この世にやって来ていた。つまり、両親が切に望まないまま、生まれてきていた。今日のような性教育も手段もなく、男女は避妊の手立てがないまま性関係を持ったので、偶発的に生まれてしまっていたのだ。生物的に可能な限りの数の子どもを産んだので、多くの場合、子どもたちの生まれ出る環境も物的に貧しかった。

子どもに対するほとんどの親の心配は、死なないでほしいということだけで、感情面への配慮は無きに等しかった。生まれ出るには、最適な環境とは言えなかったが、魂にとっては、物質界に転生することで学んで進化することが欠かせないので、どんな機会であろうと提供されたものはすべて利用したのだった。親や子となったそれらの魂の感性は、今ほど発達していなかったので、子どもたちが情緒的・感情的に構ってもらえなかったとしても、感受性が鈍かったために、その苦しみも緩和されていた。

今日では、特に西洋の多くの国々において、状況が変化している。親の意志がないまま、爆発的にこの世に誕生する子どもの割合は減少した。大半の子が、両親の子どもを持ちたいという意欲と意識によって、妊娠する。より経済的に恵まれている西側諸国では兄弟の数も少ないので、子どもの生存と物的な心配りは親から保証されている。飢えも渇きも寒さも、また栄養失調や不衛生から生じる病気も体験せずに済むだろう。

だが、まだ重要なことが欠けている。それは愛のために、愛情をもって子どもを宿すということなのだ。まだ多くの子どもたちが、愛とは異なる動機によって、設けられている。

親が子どもを持とうとする時の、愛とは異なる動機とはどういうものですか?

家系を存続させなければという一種の義務感や、老後に子どもに面倒を見てもらえるという便宜上の理由から、子どもを作る場合が多い。

ある程度の年齢がいってもまだ子どもが欲しくない夫婦の場合は、子どもを持つことによって人生を変える必要が生じるために、そうする気になれないからだ。だが、生物的な妊娠能力は年齢と共に低下していくので、「時期を逸してしまう」前に、世間と同じように、やはり子を作ることになる。

また、二人の関係が壊れる怖れがある場合に、伴侶を捉まえて夫婦関係の継続を強要するためや、上手くいかない関係を救おうとする必死の試みとして、子どもを設ける場合もある。

愛がないまま受胎した子どもは、どういう結果になりますか?

愛がなく生まれた子の多くが、虐待、無理解、無配慮、冷淡という形での両親の愛の欠如に苦しむ。現在誕生している子どもたちは、無数の転生経験から得た学びの成果として、過去の時代よりも進化した繊細な魂なので、非常に傷つきやすい。そのため、感情面への無配慮や精神的な不快感に対する彼らの苦悩の度合いは、過去よりも大きいのだ。

親がいくら、問題はいつも悪い態度をとる子ども側にあるのだと信じ込もうとしても、西洋の子どもたちの大半の苦しみの原因は、両親から愛されていないということだ。愛がないがゆえの苦悩のせいで、感情的なトラウマや肉体的な病気を引き起こしてしまう子も中には沢山いるが、大半の親がそれに気づかない。だから親は、子どもが感情的に良好な状態でいるかどうかをもっと認識して、敏感にならなければならない。そうすれば、今、子どもたちを打ちのめしている、苦しみの多くが回避されるであろう。


<転載終了>


『愛の法則~魂の法則II』ナチュラルスピリット刊
ヴィセント・ギリェム著・小坂真理訳






「愛の法則」を朗読してくれた方がいます!感謝!!
11:37~が、この記事の部分です!